月の盛りに
帰りの電車で読もうと購入した雑誌に、宮城まり子氏の主催するねむの木学園を紹介する記事があった。冒頭、子供たちが描いた絵の一つに、目を奪われた。
画面いっぱいをびっしりと埋め尽くす、色とりどりの花。そして、下の方に小さく描かれた、「まりこさんとわたし」。その、緻密に描かれた花々の強烈な密度と、にもかかわらず時が止まったような静寂と幸福の情景に、思わず涙が出た。
三年半もかけて仕上げた大作だという、圧倒的な世界と小さな自分。この一面の花畑とそこで過ごした静かな時間は、完成までの長い間も色あせることなくこの少女の心に強く刻まれるものだったのだろう。それを与えられること、受け取れることの、幸運と呼ぶにはあまりに深い絆のようなものを想った。
こんなふうに、鮮烈に日常を生きているのだ、彼らは。
月が日に日に丸くなって、夜空を皓々と照らす。それもそのはず、明日は仲秋の名月だ。おかげで星の光が翳んでしまい、せっかく買った星座早見盤が使えない。今週末、吉野の山奥に登山を兼ねて泊まりに行くので、満天の星空でも眺めようかと購入したというのに、星見の予行演習ができずにいる。
とはいうものの、その他の準備は着々と進めており、それはすなわち山岳地図の読み方だったりする。社会科の授業で習った里や街の地図と比べ、等高線が詰まった山の地図は見づらい。ルーペ付きのコンパスを使って地形をシミュレートするのだが、この山結構ハードだなぁ。あと、地形の状態を表すいくつかの言葉「キレット」や「コル」なんてのも覚えた。漠然と見ていた平面の地図が、急に立体的に見えるようになる。こういうふうに、いくつかの新たな知識によって一気にひとつの世界が具体化する瞬間が楽しい。好奇心で、壁にいろんな穴をこじ開けていくようだ。
いつか、行ってみたい山がある。
南アルプスの鳳凰三山。その中の、地蔵岳山頂のオベリスクと呼ばれる巨大岩。地蔵の頭とも鳳凰の嘴とも呼ばれる、まるで空から降ってきたようなその不思議な姿を、この目で見てみたい。
沢登りがあるわけでもクライミングが必要なわけでもなく、冬山でもない限り技術的に難しい場所ではないのだろうが、標高差1,500m程を5時間程度で登ることになるらしい。しかも、富士山のように一本道なワケではなく、登山道を自分で辿っていかなければならない。だから、今からあちこち登って知識と体力をつけねば。
幸い、関西でも高い部類に入る1,000m級の山に囲まれ、思い立ったときにすぐ登れるという土地に暮らしている。有休がなかなか取れない中、旅行に行けないストレスを山登りで上手く発散できるのがありがたい。
あの岩はきっと、多くの偶然が重なってから気の遠くなるような時間あの場に在るのだろう。それに引き替え、我が身の儚さよ。せめて生きているうちに、いろんなものを見ておきたい。
急に冷え込んだり、思い出したような残暑が戻ったり、気候が不安定だと体調も崩れがちで、案の定例年通り胃腸の具合を悪くしたり、グダグダと微熱に悩んだりしている。九月は忙しいので、本来ならそれどころではないのだけれど。こういうときは、すっぱりと一日とか半日断食してリセットするのが手っ取り早い。お腹に負担の少ない、甘くない野菜ジュースだけ飲んで、後は寝てしまう。
今週は、木曜日にもまた休日。秋分の日だ。日がずいぶん短くなった。
明日は大人しくおかゆでも食べて、体調を戻して備えましょう。
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