雲母を礎に

KyrieEleison2011-01-31



10代の頃、この時期聴いていた音楽とか読んでいた本とかは、自分でも驚くくらいに深く残っている。まるで、冬の冷気に鋭く刻み込まれたみたいに。
あの頃、世界は冬の夜の空気みたいに容赦がなくて透徹だった。そんな中で、精神を切り刻まれるようにして生きていた。


多くの真理は、人智を絶った場所で証される。そんな風に思っていた。
実際は、人の世の真理は人の営みの中にあり、そしておそらくその営みそのものを超越して静かなものなのだろう。我を手放してしまえば見えてくるものが、確かにあるのだ。


根底に横たわる絶望に、塗り込めるようにして生を築き上げる世界に人は存在している。大小の喜びは、発生した事象としての生を肯定するための装置でしかないのかもしれない。


けれど、人は生きるのだ。
いつか、死ぬ日が来るまで。


真理に意味などはない。真理は価値から離れて在り、生死の営みそのものはただそれでしかない。在るべくして在り、やがて用を終えて消えていくのだ。