天国の国境

9.11から十年。
あの日、私は熱を出して会社を休んでいた。
テレビのニュース映像は映画みたいで現実味がなく、しかし、私がそれまで見たなかではいちばん衝撃的な現実だった。
小さな砂粒のようにツインタワーから人間が零れ落ちていき、ぼんやりとブリューゲルの「バベルの塔」を思い出していた。


あの日から、世界には大きな漠然とした敵が生まれたようだった。
人々は自らが弱く、そして善であると信じたがった。悪が強く悪であるほど、自分の善性が増すかのように、敵を暴き糾弾した。
しかし、本当に用心しなければいけないのは、善と信じられているものだ。
巨悪は、独立した存在ではなく、時に善とされ正義とされたものから生まれる。
純粋な悪というのは、恐らく存在し得ない。悪と分かるものに対して、人間は立ち向かうし、拒否し存在を否定する。そのくらいには、人間の本来性は善良であるはずだ。悪と分かって多くの人間が支持することは不可能だ。
悪はそのままでは大義たり得ない。本当の悪は、善の姿をとって人々を上手に取り込んで生まれるのだ。


人間は、善悪の本質をなに一つ理解しないまま、ただ愛するものを守る為に戦う。それ自体は、善でも悪でもない、素朴な本能だ。そして、自分たちが悪と定義した「敵」もまた、同じことをしているに過ぎないと想像することが、もしかしたら人の本能から生まれる衝動を、善に踏みとどまらせる方法なのかもしれない。
そしてもう、多くの人がその事に気づいている。


歴史は常に、全ての世代に絶望を教え込み、同時に自らの在り方を問う機会を与えている。
人間の倫理や想像力は、情報技術の発達により、確実に進化(或いは最大多数の最大幸福的な平準化)している。同じ愚を繰り返しているわけでは決してない。


人類は学んでいる。そして、一人一人は確実に平和希求している。
やがて、強者の独善ではなく、全人類の願いが集約された結果として、それを実現させる手段を見出だすのだろう。
たぶん、そう遠くない未来に。


そう、信じている。