おやすみよい子


 理性だとか愛だとか妬みだとかそういった人に関わる様々な善いものと悪いもので被い尽くしたはずのものが、時折思い出したように浮かび上がる。

 それはかつて、私が絶望と名づけたもの。
 そしておそらく、私の核となったもの。

 そんなことさえ忘れ、何食わぬ顔で生きて。
 突然また、奪われるのだ。

 こころを。




 わぁ前の更新から一ヶ月経つところだったよ。


 部署の同僚が退職して半月がすでに経過したが、欠員補充はなく忙しくて死にそうだ。
 しかし実際のところ、いくつかの仕事を引き継いでみたが、前任者がやっていたほど時間のかかるものでも大変なものでもなくなんだか拍子抜けた。まぁ、あれだ。丁寧に時間を掛けて正確に仕上げる人と、とにかく早くやって間違ってたら後から修正かける人(すなわち私)の違いだ。
 忙しいのは、単に新しい仕事が増えたからだ。


 同い年の同僚が辞め、部署には上司以外年下しか居なくなった。これを機に、スタンスを構築しなおすことにした。

 私の悪いところは、他人のしていることに無関心なところだった。また、自分のしていることについても、内容の特殊さから自分ひとりで完結させてしまうことが多かった。
 それを、周囲の状況に気を配り手を差し伸べたり協力したりして貰ったりするように変えてみた。そうすると、領域はまったく違っても手伝えることはあるし手伝ってもらえることもある。ゲームみたいに時間を競ったり精度を競ったりして、面倒な仕事も楽しんでやるようにする。

 そして、マイナス感情は共有しないさせない。これが一番のポイント。
 不平不満があるなら、具体的なアクションにする。それが、いままでの失敗の最大の要因だ。


 一番先輩の私が、とらなければいけない態度というものがあったはずなのだ。本当は。それを私は、自分の個人主義を言い訳に怠ってきた。
 こんどこそ、それを為す。

 しかし、慣れない事をしているためか、目に見えないところが消耗している感じだ。知恵熱的疲労とでもいうのだろうか。


 理性的に振舞っていても、適宜感情は解放してあげないと煮詰まってしまう。全てが上手く言っているように見えるのにもかかわらず、時々凶暴な気分に駆られるのはそのためだ。

 だから、泣いてみたり。
 なみだは破壊と浄化だ。

 そして、再生すればいいのだ。