Go West

 およそ一ヶ月ぶりの更新となってしまった。その間私は怒涛の残業と共に誕生日を迎えて三十一歳になり、入社して五年経ち、なんとなく来し方を想う機会が多かった。
 そして今日は、寒暖差によるアレルギー性鼻炎と軽い喘息でWBCを観るとはなしに観ながら寝込んでいる。

 この一ヶ月で拾った幾つかのこと。

  • 勤続五年の表彰で(五年ごとに表彰されるのだうちの会社は)、社長から「無から有を作り出す人」と言われた。なんとなく、『ああそういうことなんだ』と思った。
  • 三十を過ぎたらあとはもう何歳になろうがどうでもいい。
  • I miss you.という言葉の意味が身に沁みてわかった。去年結婚を機に辞めた同僚の話だ。会いたくて、夢に出てきた。特別話したいことがあるわけでもないのに。
  • 古い友人が訪ねてきた。花を見て雪を見て音楽を聴いて温泉に浸かり酒を飲んだ。いくつになっても、おんなともだちって良い。しかも、乗り物酔いしない女ってイイ。

 書き記すことをしないと、感じたり思ったりしたことは消えてしまうものだ。かたちがないということは、そういうことなのだ。

 無形のものを、有形のものにする。
 そういう行為をきちんとしていこう。




 梅が咲いて散ったかと思ったら、冬が戻ってきたかのような日が続く。こんな寒さで、どうやって春になって桜が咲くというのだろう。

 先々週末、恋人と吉野の梅を見に行った。
 『萌の朱雀』の映画そのままに残るバス道をのんびり進み、紅梅のトンネルをくぐって辿り着いた谷間の里は、いまだ早春賦。

 「ねぇ、花は?」
 「さぁ・・・」

 花というより、枝を見た感じだ。
 それでも、久しぶりに暖かい春の日。遊歩道をぐるりと巡って時折綻んでいる梅の花や匂いを楽しみ、農家の軒先で出している手作りの草もちや田楽をほおばりながら歩いて、帰りにはバス停ひとつ分を歩いてみたりで、ゆっくり春のうららかさを楽しんだ。

 恋人は、古いバス停や駅舎が似合う。一世代前の若者の感じなのだ。ベンチに腰掛けてバスを待つ感じが、ロードムービーのワンシーンのようで、少し見惚れた。



 今日は春分の日。陽が伸びたことを最近実感していた。仕事が早く終わった日は、外がまだ明るい。

 このところの食欲不振で肌が荒れたり口内炎がいくつも出来たりで、体調はちょっとぼろぼろだ。おまけに、弱っているところにアレルギー。弱り目に祟り目とはこのことだ。
 しかし、精神的にはすこぶる快調で、細かい不調は鬱陶しいが元気だ。やはり、生まれた季節は気力が充実する。

 なんだか、次の道が開けた感じがする。
 たとえば、この会社にはもうあと何年でも居られる気がするし、快適な生活の基盤もも整った。そして、自分の世界の外側に在るものを思う手立ても、獲得しつつある。

 三十一歳になって、今年は少し旅をしようかと思っている。海外に行ってみるのもいいかもしれない。
 あと、漢文。漢文の素養がある人ってかっこいい。

 そういう、自分なりの「かっこいい大人」になろう。四十歳を目処に。
 三十歳になったときは、二十代への決別の一年だと思った。そして、三十一歳になった今は、四十歳になるための準備を始めよう。無理にならない程度に美容と健康に気を使い、昔の人が「不惑」とした、知性と教養と経験に富んだ四十を目指すのだ。

 なんだか楽しくなってきた。