ボクには声が、キミには名前が。

 「今夜のデートはキャンセル」との旨のメールを恋人から受け取り、朝からがっかりしていた一日。

 先週から体調を崩したままイマイチ本調子でないにもかかわらず、四月の締め日で週末で業績は惨憺たる有様で、個人的には珍しく大きめなミスを二つ起こし、トラブル対応に追われてわりと大勢に迷惑をかけて、憔悴しきってほとんど人の居なくなった金曜日のオフィスを出た。
 年に何回も無いような、ついてない一日だ。


 口直しに、二週間ぶりの英会話レッスン。ビルの下のフロア、遅くまでやっているのでありがたい。

 今日の講師は、優しそうなおじさん。
 「今日のレッスンは何をしよう?」と聞かれたので、
 「ちょっとブランクが空いたから、感覚を取り戻すためにフリートークで」
 と答えた。


 先生は日本庭園に興味があって、本当は庭師になりたいのだとか。日本語は全然話せないんだけどね、とつけくわえて。
 日本の庭園は自然と調和していて繊細だ、と。

 話が弾んで、あっという間に時間が過ぎてしまった。ずっと、植物とかお寺とか、先生のことを尋ねたりしていた。


 ひとつ、わかったことがある。

 私は、人に質問をするのが苦手なのだが、それは私が人に興味を持てない人間だからだと思っていたがそれは間違いで、興味を持てない人を相手にしていたから質問が出てこなかっただけの話だったのだ。

 知識とか教養とか情緒とかそういうものは、それを持つ人への興味を抱かせる。
 「そんなことを知っているこの人はどんな人だろう」とか、「そういうことを感じる人はどんなことを考えるのだろう」とか、好奇心がその人自身に向かうのだ。

 「自分が」「自分は」と、自分自身を問題にしようとする、自分のことばかりを語ろうとする人が多いな、と最近少し疲れ気味だった。

 世界は、自分の外に在る。
 そして、その人にとっての私は、間違いなくそこに立っているのだ。



 デートがキャンセルになったけれど、おかげでゆっくりきちんとトラブルに対応できたし、ちょっと落ち込んで英会話のレッスンに行ったらすごく楽しくて元気になった。

 ヨノナカ上手くできてるなぁ。