永遠の姿を此に見む
たくさんの偶然が重なるから「奇跡」って云うんだ。
そんなふうに思うことがある。
三連休を利用して、生まれ育った街を訪れた。
幼少時に数年の空白はあるものの、思春期の、あの特別な時間を過ごしたのはこの土地だ。
ここで私は多くの友を得、自分の世界と自我を形成した。
私のこころが立ち返る場所は、きっといつだってここなのだ。
高校を卒業して以来十数年ぶりに再会する友とも顔をあわせ、巡礼のようにして、あの頃の記憶を辿って歩いた。
放課後、いつまでも語り合った喫茶店。
雨の降る日、友人と言葉少なく訪れた浜辺。
制服のスカートを捌くようにして登った坂道。
見上げる、くすんだ校舎。
この強い郷愁は、いつも少しの痛みと鮮烈な愛おしさを伴う。
この感情をずっと抱えて、私は遠い土地で長い時間を過ごしていた。そのことを、目が覚めるような想いで自覚した。
少子化に伴う生徒の減少で、去年の春に母校は閉校した。
その名残をせめて目に収めようと訪れたところ、偶然にも管理人が出てきて、中に入れてもうことが出来た。
本当に、偶然のことだ。あと少し時間がずれていれば、この機会には恵まれなかった。まるで、この機会に私たちが遭遇できるよう、誰かが必死で多くの物事を微調整してくれたかのようだ。
こういう出来事を、奇跡というのだと思う。
管理人さんの計らいで、およそ一時間、校舎の思う存分見て回った。
廊下の角を曲がるたび、また、壁のひとつづつから湧き上がる思い出を、数え上げては懐かしむ。
授業中、窓から光る海を眺め、教師も含めたクラスメイト全員が、その美しさに言葉を失ったりしたものだ。
もうすべての備品は運び出され、教室はがらんどうだったけれど、あの窓から見える景色は変わっていなかった。
私はあの頃演劇部員で、会議室を借りた稽古場で夏休みのほとんどを過ごした。
その、床の冷たさが、今はただ懐かしく愛しかった。
思えば、他者を自分の世界内で認識したのは、演劇の経験を通してのことだった。
他者を擬似的に体験することにより、自分以外の存在へ目を向ける訓練をすることができた。
あの、濃密に他者と関わる時間が無ければ、人や人の内面に関心を持つことも無かっただろうと思う。
今の私を形作ったのは、間違いなくあの頃の、連続された瞬間のひとつひとつなのだ。
様々な感慨が織り交ざって、上手く言葉にならない。
一緒に居た友人たちも、おそらくそうだったのだろう。なんだか言葉少なくなっていた。
帰り際、管理人さんが最後の学校要覧を私たち一人一人にくれた。
そこには、幾度となく歌った校歌が載っていた。
あの頃は、古臭い言い回しに笑いもしたけれど。
いまでもその、静かな旋律を覚えている。
昔をしのぶ松かげに
集ふ我等ぞ誉れある