ボクはボクを裏切らない
昨日は復活祭だった。
この日を過ぎると、本格的に春になる。
そしてこの春は、別離が多い春だ。
長年私の心の片隅に静かな楽園を形成してくれていた、スペイン人の老神父が、帰国することになった。
数年前に遠くの教会に異動になり、以来年に一度くらい何かの集まりで顔を合わせることがある程度だったが、私の中では常にもっとも望ましいものと喜ばしいものを具現化した存在だった。
静かに老いた天使のような人。
もしかしたら、生涯会うことも無いのかもしれない。
かの神父から洗礼を授けられた恋人と二人で、赴任先の教会を訪ねていった。
その教会は、都会の真ん中に建つコンクリートの大きな教会で、私たちが初めて会った緑と花にあふれる小さな教会とは比べようもないけれど、それでも彼の微笑と快活さは変わらずで、ほっとしたような申し訳ないような気分になった。
いつものようにお茶を淹れて、おしゃべりをして。
別れ際、
「お元気で。いつも祈っています。」
と言われた。
小雨の降る中、いつまでも外に立って見送ってくれた。
誰かとの別れが、こんなに悲しいなんて知らなかった。
今までは子供だったので、別れとは自分が去ることでしかなかった。
大人になった今、私は初めて置いて行かれる別れを知ったのだ。
かつて経験したいくつかの大きな別離は、それでもこんな想いはもたらさなかった。生涯、会うことも無いだろうことは変わらないのに。
立場が違うだけで、こんなにも悲しいものなのか。
私は今までこんな想いを、させていたのか。
ただ今は。
道を分かった人たちが幸福にあるよう、祈る。
かつて彼らと共に築いた楽園は、今もなお私の中に静かに眠っている、と。
そのことを、なにかの証として。