緑の森

KyrieEleison2005-05-22


 何も感じられなくなるくらい、忙しい日が続く。

 効率的に生きるためには、感情活動が最小限に抑えられるものなのだとおもう。実際、この二週間ばかり、何をしたかほとんど覚えていない。仕事と、仕事の成果が累積されてゆくばかりだ。

 せめてもと、天気の良い日は外に出て、土佐堀沿いや区画公園に面したカフェで昼食にする。


 都会の中で、いつも緑を探している。
 こんなとき、森に囲まれた図書館で仕事をしている恋人の身の上を、うらやましく思う。




 昨日は、同僚二人と共に、うちの近所のパン屋に出掛けた。
 近所といってもたいそうな山の中で、改めてこの街の持つ土地の多様さに驚いた。


 深い山里の一軒家で、若い夫婦がゆっくり気ままに石焼窯で焼き上げるパンを求めて、全国から人が訪れる。

 パンはずっしりと重い田舎風で、昔旅行で立ち寄った東欧の黒パンを思い出した。石窯で焼かれた、がっちりがりがりした厚い皮と、ナッツやドライフルーツがぎっしり詰まった歯ごたえのしっかりした中身。ちゃんと身体を作るためのパンだ。

 美人でしっかりした感じの奥さんが、ハードなパンをガシガシ切っている。庭では、いかにも芸術家風の繊細そうなご主人がカフェを開いている。チャイにはすりおろしたばかりのジンジャーを、血のような色をした濃厚なオレンジジュースには庭で茂ったミントを添える。


 蜜柑や藤の花が香り、隣を流れる沢ではカジカの鳴く声が聞こえる。
 社長であるところの柴犬と、捨てネコだった生後ニヶ月ほどの茶トラの子猫が陽だまりで戯れている。

 こうやってまた、楽園は展開されるのだ。




 パン屋のオープンを待っている間、目の前の棚田で仕事をしていたおっちゃんが休憩がてら世間話に付き合ってくれた。

 昭和九年生まれのおっちゃんは、病気ひとつしたことが無いという小さな身体で、山の傾斜も元気に歩く。丸い顔にニコニコと笑顔を絶やさない、トールキンの描くホビットそのまんまだ。

 田畑の他に昔は林業もやっていたが、日本の生活様式が変わって需要がなくなり、今はもうやっていないのだと話してくれた。
 戦後、このあたりは林業で栄えていた。国土を再建するために、木材が必要とされた時代だ。おっちゃんはそんな時代で子供三人を大学にやり、今は奥さんと二人で穏やかに暮らしている。

 おっちゃんは子供の頃には、太平洋戦争があったのだという。

 日本も、中国やら韓国やらにそりゃひどいことしとった。怒るんは当たり前や。
 みんな、いろいろ事情やら考えやらあってのことやろうけど、それでも、戦争はやっぱり悲惨なもんや。やらんほうがええな。

 そういって静かに笑った。
 ホビットみたいなおっちゃんも、いろいろな思いをしてきたんだろう。そうして、ああやって笑っているのだろう。


 ひとは強いな。
 そして、うつくしいと思う。



 次に来たときは、おっちゃんの家に遊びに行く約束をして、おっちゃんは畑仕事に戻った。

 「社交辞令とかじゃなくて、ほんまに行くで。見ときや。」

 隣で同僚が目を光らせたのが可笑しかった。