凍れる音楽

KyrieEleison2005-06-12


 金曜日は、会社のオネーサンと二人で紀伊山地龍神温泉というところに行ってきた。日本三大美人の湯と謳われる、山深い隠れ里。

 数ヶ月後には結婚して故郷の北海道に戻る彼女は、このところ休日ごとに近畿各地の「行き残し」を巡っている。私もしばしば、お供を仕る。
 実際、彼女とはいろんな場所に行った。

 今となっては、社内で最も付き合いの長い同僚。感性が、社内ではお互い一番近かった。相談に乗ったり乗られたり。愚痴も含め、一番本音を零していた相手は、彼女だったのだと思う。



 緑の深まりつつある山々の中を、車でひた走る。バイパスが整備されているおかげで、快適だ。高野山を経由して、谷間の鄙びた温泉街に辿り着く。

 昼過ぎの人気の少ない時間だったので、温泉は貸しきり状態。ここの湯は無色透明のアルカリ泉で、おそらく緩やかなピーリング効果があるのだろう。肌が白く滑らかになることから美人の湯と言われる。

 眼下の渓流の音、間近に迫る山を渡る風、鳥の声、窓から差し込む白い光。五感が解放されるようだ。こんな時間を、久しぶりに持つ。


 ゆっくりとお湯を楽しんだ後は、思いついて教会に行ってみた。


 こんな深山幽谷の秘境ともいえる村に、小さな教会がある。

 戦争中、政府の目すら行き届かないこの山奥の村にも、宣教師は物資を背負って援助にやってきた。陸の孤島として顧みられなかった人々は感銘を受け、やがて、彼らの強い要望により、教会が建てられた。近くの山にB29が墜落した時、乗っていた米兵に対し村人たちは暖く、死者は手厚く弔われ、村によって建てられた慰霊碑には「神は愛なり」と刻まれたという。
 戦争が終わると教会では託児施設や英語教室が開かれ、住民の精神的文化的拠り所となった。
 一時期は住民の九割が信者で、過疎化が進んだ今では信者のほとんどが高齢者となったが、山と谷に抱かれた小さな白い建物は、今でも人々の手によって美しく整えられ、守られている。

 そんな、おとぎ話のような歴史を持つ教会。


 坂を下って見えたその姿に、息を呑んだ。

 眠れるような庭。
 アカシアの大樹の下に、語らうために設えられたベンチ。

 聖堂内部では淡い色合いの窓から光が射し、静まり返って優しく、壁に貼られた古い写真がこの教会の時間を慈しむように見守っている。


 涙が出るような静謐だ。
 なんて美しく完結した世界だろう。


 何年か前にこの教会を訪れたとき、同行した神父様が言っていた。

 「バチカンの大聖堂は、それはそれは立派なものです。
  人間が造った、芸術品。
  この教会には、神の造った素晴らしい自然があります。
  川の水の音も、音楽のようね」

 そしてこの空間には、人々の大いなるものへの感謝と賜りものへの慈しみが満ちている。
 しばし祈り、そうすると同僚は私に倣って膝をつき、小さく頭を下げた。



 教会の傍らから川に下りる。

 底まで見通せるほど水は澄み、蜻蛉が水面を舞うように飛ぶ。時折、小さく水音を立てて稚鮎が跳ね、あるいは銀の魚影を水の中に閃かせる。
 岩を跳んで渡り、淵を覗く。
 足を浸して、空を仰ぐ。
 草の匂いを感じる。
 同僚は、姉のような目で私を見、「少年の夏休みだね」と笑った。



 たとえば、花盛りの庭で陽を浴びる老女に目を細めて顔を見合わせたり、水面に射す斜陽の物凄いような金色に言葉を失ったり、通り過ぎる一瞬のうちに目に捉えるものが、彼女とはひどく似通っている。

 「すげーな」
 「うん」

 そんなふうに、彼女との会話では具体的な言葉が極端に少ない。それで、通じてしまうのだ。

 いつも、漠然と何かに憧れていた。
 それは、ここには無いどこかの美しい景色であったり、まったく違う都市での新しい生活であったり、懐かしい故郷であったり。
 今在る自分に、いつもどこか心許なさを感じていて、何とか折り合いをつけようとしていた。
 そしていまもなお、自分の在り処を探している。



 仕事のこととか、先行きの不安とか、映画や音楽のこととか、取り留めなく話して、それでもいくつか大切なことを話したような気がする。

 彼女の、伴侶と歩む未来に幸あれかしと祈る。
 自分とは違う道を選んで行く人に、私はいつも希望を思う。