子供のための物語


 大人になると、夏が味気ないものになっていくのだなぁ、と思う。

 いつも空調の聞いた場所にいて暑さもろくに感じないし、食べ物にもあまり変化は無いし、休暇も短い。夏を堪能する機会が、子供の頃に比べると極端に少ないのだ。

 同じ環境で仕事をしている大人でも、お父さんお母さんたちは子供に付き合って短い休日を過ごしたり、各種行事に参加したりで、間接的に夏を実感するのだろうけれど。
 そう考えると、夏は子供のものだなぁ。
 長い夏休みも、たくさん思い出作りをするために必要な時間だ。やがて大人になって、懐かしむために。


 子供だった頃、よく両親以外の大人に遊んでもらっていた。
 私みたいにヘンにこまっしゃくれた子供の相手をして何が面白いのだろうと思うのだが、彼らは彼らなりに、自分の子供時代への懐古として私の相手をしていてくれていたのかもしれない。

 あの頃の彼らと同じくらいの年齢になってみて、そして同じく子供を持たない大人になってみて、そう思う。
 子供という存在は、懐かしくて愛しい。
 血の繋がりがあるなしに関わらず、概念として、子供とははそういうものだと思う。私にとって。


 あの頃、一緒になって子供じみた遊びに興じてくれた人も、あくまで大人として接し、静かに時を過ごす方法を教えてくれた人も、道端のネコをあやすように構ってくれた人も、その後やはり子供を持つことをしなかったようだ。
 そして私も、そうなるような気がする。


 子供の時間というものは、映画のように目の前で再現され展開されはしても、触れることは叶わないのだ。
 もう決して、自分のものにはならないのだ。

 私は、そういう大人になった。