逸詩


 ずいぶん間が空いてしまった。
 このところ、母校での学会に出かけたり知人の製作している芝居を観に行ったり美術展に行ったりと、週末ごとにイベントが多くて、なんだか落ち着かない。


 そんな中で、日常的には、人間関係の中における個々の感性の相違を改めて思い知らされたり、好意を良いように利用されたり、ちょっとタマシイ的に疲弊することもあった。
 たとえば、絵を描かないひとは、自分の描いた絵に勝手に手を加えられることがどんなに屈辱的かということに、思い当たらない。
 そういうようなこと。

 仕事は上手くいっているのに、なんだかすごく傷ついた気分になっている。
 相変わらずの未熟。



 今日は、午後ずいぶん遅い時間になって目を覚まし、雨が降り出しそうな天気の下を投票に行った。日が暮れる頃には小雨が振り出し、気に入りのファーマーズマーケットに買い物に行くと、少々濡れた。

 久しぶりに街を巡る。いくつかの稲田では、すでに稲刈りが始まっている。大気に漂うこのくすんで甘い匂いは、籾の焦げる匂いだ。

 あちこちで、秋祭りの準備が始まっている。
 山車の組み立てや飾りつけに、子供たちのお囃子の稽古。ハレの日を迎えるための日常。山里の賑わい始めるさまを、五感で捉える。
 こういう感覚も、久しぶりだ。
 このところ、遠くを見すぎていた。

 マーケットでは、秋の収穫がとりどりに並ぶ。
 果樹栽培が盛んな土地なので、柿や梨や葡萄が甘い匂いを放つ。きのこ類や瓜の類、スダチやカボスの柑橘類。山の幸と里の幸。そして、それらに手を加えた、餅や漬物などの人の幸。

 長い歳月を変わらない、健やかさを見る気がする。
 ひとは一方で、きちんと季節を生きている。そのことに、安堵する。


 季節の野菜をふんだんに使った料理で、久々の休日を締めくくる。
 いくつかのものを、ときどきこうやって取り戻す。


 明日もちゃんと生きよう。