この糸があなたに繋がらないならば

 新居は快適です。


 朝晩は吐く息が白くなってきたが、12月に入る前にコートを着るのはなんだか負けた気がして、手袋やマフラーで自分を誤魔化しながら凌いでいる。毎年繰り返す、子供じみた意地だ。
 夏には暑い思いを、冬にはちゃんと寒い思いをしておかないと、生物としての何かを崩してしまいそうで、わざと自分を甘やかさないようにしている。動物の部分を、やっぱり忘れちゃダメだと思う。ひとは簡単に傲慢になるものだから。


 目覚めと夜明けがほぼ同時刻という時季になってきたが、それでも東の窓から薔薇色の朝焼けが見られると思えば、少し得したような気にさえなる。このところ、朝起きて最初にすることは、カーテンをあけて暁を部屋に映すことだ。そして、キッチンでお湯を沸かして紅茶を淹れる。

 新しい部屋での生活動線がようやく出来てきて、引越し自体はまだ完了していないものの、ここでの暮らしにはずいぶん慣れてきた。

 引越しで一番大きな割合を占めるのは、運ぶことより捨てることだった。如何に無駄な物を所有していたのだろうと、少し自分を恥じる。
 新居に移ったのを機に、ひとつずつのものをよく選び、最小限の物を丁寧に使うようにしている。本当はたったこれだけで済むのだと気づく日々。物の少なさは、不便さよりも自由をもたらしたように思う。

 ここにきて、ようやくバランスの取れた生活が出来るようになってきた。
 たとえば、食物を無駄にすることなくきちんと食べきることであるとか、規則正しく生活を繰り返すことであるとか。そういう、自分で律することのできる範囲での生活。
 時々、夕食に少しだけアルコールを嗜んでみたり、テレビはつけないで、FMから流れる様々な言語の音楽を楽しんだり。

 リビングの大きな窓から入る光が日中に空気を暖めるためか、この部屋は暖かく、未だストーブも使っていない。キッチンで火を使っていれば、それで十分温まる。靴下を履いてカーディガンを着ていれば、快適に過ごせる。それは、エアコンみたいにスイッチひとつで簡単に手に入る、薄っぺらい快適さとは違う。ちゃんと作り上げた、「ぬくもり」だ。

 こういうものを、大切にしていこうと思う。