Honeysuckle Water


 ようやく忙しさも一段落して、「会社帰りに一駅歩いて買い物でも」という気分になってきた(が、反動でエライ散財しがち)。
 同時に、同じく仕事が空いてきた同僚や後輩の付き合いで飲みに行ったりなんだりで、なによ最近羽振りがいいじゃないKyrieちゃんてなカンジだ。まぁ、たまにはいいか。ボーナスはまるっと貯金したし。



 このひと月ほどは世情に疎い私でも耳に入るくらいの大事がいくつもあり、良い意味でも悪い意味でも「世界はひとつ」な感じがしている。イヤでも「国際」という言葉を意識させられる。
 …あと、隣の席がおしゃべりなオージーでわりとウルサイ。つーかウザイ。オレの仕事の邪魔するな。国土の広い国の民はやはり苦手だ。島国根性丸出しでゴメンよ。


 このひと月はまた、「誇り」という概念の多様性を意識する機会が多かった。国際政治にしろスポーツにしろ経済にしろ。「毅然とした態度」で何かを為すとき、場合によって、あるいは人によって、まったく相反する現れることがあるのだ。
 私は自身の揺るがなさをそれと考えているのだが、決然と反撃することを誇りとする人もいる。これは是非の問題ではない。純粋な「違い」なのだ。

 そういう「違い」にマクロにもミクロにも敏感でいたいと思うのだが、私にとってそれはなかなか努力を伴うことでもある。自分でいくつかの視点からなる情報を摂取し、判断しなければならない。
 しかし、こういうことに怠惰になるのが一番、なんというか嫌いだ。私はいつもフェアで中立な立場にいたい。それが私の精神衛生上一番安全なスタンスなのだ。

 先日、恋人に「君は本当に良い人だと思うよ」と言われたので、「合理的なだけだ」と答えたが、「良い人でいるのが一番合理的なんだよ」といわれてなるほどと思った。
 嘘をついたり誤魔化したり保身に回ったりするよりも正々堂々と潔くするほうがよほど安全なのだ、本当は。私はだから、陰口を言うより本人に言うし、誤りは認める。誤魔化したり隠したりして後々までいざこざを引きずるより、そちらの方がよほど楽なのだ。
 それだけの話だ。



 湿度の高い気候のせいかなんとなくヨノナカまで湿気ている感じがする今日この頃なのだが、気分転換に10年来愛用の香水を変えてみた。
 店員さんがあれこれ出してくれたが、どうしてもムスクやサンダルウッドの匂いが好きなのでそちらを選ぼうとしがちだ。しかし、どうせ変えるのならまったく違うタイプの香りをと、今回はあえて軽めの爽やかなものを選ぶ。
 が、われながら良いチョイスだったのでは。Santa Maria Novellaのカプリフォーリオ。初夏に香る、スイカズラの花。

 明日がちょっと楽しみになってきた。