その両腕を広げ


 物凄く久しぶりに一人で過ごす土曜日。

 注文しておいた野菜の宅配に起こされ、そのままぼんやりとソファに座る。
 昨夜は残業で終電帰り、帰った後も頭が冴えて寝付けず、夜中の三時過ぎまでごろごろしていたのに。まだ寝足りない気がする。とりあえず、ミネラルウォーターを飲む。喉は渇いていた。

 ここ数日は、締め切りが近い仕事の忙しさのためか、なんとなく心身ともにバランスを崩しているようだ。苛々して食欲もなく、何を食べたら良いのかわからない。とりあえず、玄米でおかゆを作ってみる。調子の悪いときは、おかゆだ。
 五穀を混ぜ、コトコト弱火にかける。予報で聞いていたより天気はよく、ラジオをつけて窓を開ける。湿度の低い軽い風が吹いて気持ち良いが、少し肌寒い。空気を入れ替え、窓を閉めた。

 結構時間をかけて上手く出来たおかゆに、昆布と梅干を混ぜる。なんだか病人みたいだけど、たまには身体を中から休めることも大切だ。温かいものを食べたら、身体も暖かくなって、少しアクティブな気分になってきた。
 忙しくて溜めていた洗濯をして、ゆっくりお風呂に入る。ハーブエッセンスを垂らしたバスタブに浸かり、本を読みながら汗をかいて、身体を磨いてきれいになったら、肌も髪も血色も回復してきた。このところ、忙しさにかまけてそういうことを疎かにしすぎていたかもしれない。
 ちゃんとした生活を思い出さないと。


 外に出たら、やわらかい晴天。日差しはもう穏やかで、雲が羽毛のように広がっている。緩やかな風に、ずいぶん伸びた髪が翻る。大気には、稲を刈るときの籾の焦げるような独特の匂いがする。秋の匂いだ。

 歩きながら、少し足を伸ばして市場に行くか、近場のスーパーマーケットで済ませようかと考える。しかし、このところずっとだるかった身体は思ったより軽く、久しぶりに遠くまで歩く気になった。このところ運動不足だったし、市場までは最近歩いていない道だ。気分転換がしたかった。

 旧街道沿いの住宅地を通り、果樹畑を抜け、川沿いの土手を歩く。
 古い住宅地の庭先では、萩が咲き零れ、薔薇が匂い、名前を知らない花の目の覚めるような深い青に見惚れた。

 果樹畑を抜けると、視界が開けた。
 東西に横たわる河。その向こうに、山が連なる。川を挟んで久しぶりに間近に対した山は、大きな翼を広げたように見える。

 こんなふうに遠くて大きなものを、久しく見ていなかったと気づいた。
 畏れ敬うようななにかから、このところの私はずいぶん遠いところに居た。

 坂上田村麻呂が戦勝を祈願したという、強い護りの神が祀られる。空気の澄んだ日は、その山の頂近くに社殿が見える。
 この忙しさもひと段落着いた晴れた日に、あの山に登ってみよう。そして社殿から、自分の住むこの街を見下ろしてみよう。そんなことを考えながら、土手の砂利道を歩く。
 バッタやヒバリが、草むらから飛び出しては目の前を横切っていく。川はゆっくりと流れている。

 市場では、秋の収穫で賑わいはじめていた。
 特に果樹栽培の盛んな土地だ。柑橘類をはじめ、何種類もの葡萄や柿が生産者ごとに並んでいる。農家の手作りの漬物やこんにゃく、お餅や田舎豆腐もある。婦人会の作ったパンや焼き菓子なんかも美味しそうだ。
 こういう、生きている活力と喜びが一次的に生産された場所は、元気になれる気がする。気力が弱っているときは、やはりスーパーマーケットより市場の方が良い。

 葡萄好きなので珍しい種類の葡萄を二房と、なんとかっていうオジサン自家製の金山時味噌(茄子とか瓜とか入って出来てるって初めて知った)と、唐辛子味噌(スティック野菜につけると最高!)を買って、しかもどれも物凄く安くて機嫌を良くする。


 途中本屋に寄ったりで、結局三時間ほど歩き回っていた。久しぶりに良い散歩になった。多くのものを取り返した気がする。

 空も大地も善いもので満ちている。
 その狭間で、自分で勝手にあくせくしていただけだ。

 私はここでこんなふうに暮らすために、あの都会で働いているのです。
 そのことを自分で忘れないようにしよう。