絶弦
「こどもがほしい」
と恋人に言われて耳を疑った。一体何を言い出すんだ。
「同じ年頃の父親が幼子を抱いている姿がうらやましい。あれやりたい。」のだそうだ。
「自分で産めば?」
と言っておいた。
最近、こんな会話をよくする。
以前は神父になるだのならないだの言っていたはずだが、私の知らないうちにすっかり私と生きていくことに決めたらしい。ケッコンケッコンと会うたびに口にする。
私はといえば、出来れば共に生きたかったがたとえ遠く離れていてもお互いそれぞれ望む道を進んで生きて行けることができるならばそれがすなわち私たちにとって共に生きるということなのよ、とか、もし本当に彼が私から離れ神父になってもそれは互いの最上の形であるのだから悲しむことは無い私は私で彼に相応しく誇り高く毅然と生きていこう、とか、悲壮な決心までしていたのに。
なにさ。
結局あの男は、私の幼稚なヒロイズムなんて簡単に蹴散らして、その向こう側から現実を突きつけるのだ。いつも。
考えてみれば、付き合いはじめるきっかけもそうだった。
しかし、かれこれ八年になる長い付き合いの間、一緒に生活しない場合の決意ばかり固めて、一緒に生活する場合のことなんて何も考えていなかった。
ので、困る。
えー、仕事辞めるつもりないのに働きながら家庭なんて両立できねーよオレ。疲れて帰ったら一人でダラダラしたいもん。どうしても結婚しなきゃいけないなら専業主婦が良いけど、仕事やめたくないもん。
そもそも、生まれてこの方「お嫁さんになりたいv」とか一秒たりとも思ったことないし、子供欲しくないし。つーか、だから上述のような悲壮な決意が可能だったのだろうよ本当に結婚したくて子供が欲しかったら絶対手に入れてるよ私のことだから。
私にとっては、どこまでも「結婚<自分」なのだ。始めから結婚に興味が無いし、そのために一人で生きる強さを着々と身に付けつつある。大概のことは一人で出来るし、一人でも平気だ。
それが、欲しいものは必ず手に入れる私の為すべきことだったのだから。
いつのまにか立場は逆転と言うか最初からそうだったのかもしれないが、「煮え切らない男=私」と「先に進んでとっととけじめを付けたい女=恋人」という、世間一般とは逆転の構図が固定してしまっている。私の悩みというか戸惑いなど誰も理解してくれないし、いつもみんな私の相手の味方をする。
そんなにダメな人間ですかオレは。
嬉しくないわけじゃないのだ。私をこんなにも必要としてくれ、私がただ存在するだけで幸福を感じてくれる人間がいる。それが、自分で愛した男なのだ。嬉しくないはずが無い。
しかも、簡単に神父になるのをやめて心変わりしただけなのでは決して無い。彼は彼の生涯をかけて歩むべき道を悩み抜いて、その選択をしたのだ。それは知っている。間違いない。
ただ、結婚そのものの価値がよくわからない。
別に、このままでいいじゃないか。
結婚なんていつでも出来るけど、いっぺん結婚しちゃったら辞められないじゃんカトリックだし。まだお互いやりたいことが一杯あるんだし一人身のときにしかできないことをし尽くしてからでも良いじゃない。
…とか言いくるめて誤魔化して時間を稼いでいるオレは、ダメなヤツですか。
いや、愛しているのですよ。本当に。