ときのあめ


 昨日は会社の株式上場記念行事で、国内全拠点の全社員が集結した社員総会に出席するために、東京に行っていた。
 いやー、こういうゲストとして上げ膳据え膳で参加する会社行事って楽でいいなぁ。その分、本社の総務や企画部が大変なんだろうケド。

 数年ぶりの東京、しかも丸の内のオフィス街。関西弁の150名が東京駅からぞろぞろ歩く姿に、道行く人々が怪訝そうで可笑しかった。やっぱり大阪とは違うなぁと思う。空気が。(そしてあの牛たちはナニ)


 この日に向けて、私はひとつのプロジェクトを進めていた。
 周囲の人々の快い協力を得て、二ヶ月かけて完成。その発表も、パーティの最後に趣向を凝らした形で行われた。社長と全社員に対しての、ちょっとしたサプライズプレゼント企画だ。

 私は裏方にいたのだが、最後に社長に「どこにいるの?こっちおいで」と呼ばれたので、顔を出して壇に上がった。目の前には、笑顔の600人が喝采を送ってくれる。

 自分で言うのもなんだが恥ずかしがり屋なので、人前に出るのが苦ではないが面映くて面倒だと思う性分だ。ゆえに、仕掛け人としていつも裏方に居たので、自分がやったことがこういう形で報わるのを目の当たりにしたのははじめてだったかもしれない。
 素直にうれしいもんだなぁ。それに、楽しい。
 裏方で思惑通りの会場の反応にほくそえんでいるのも楽しいけれど、みんなが喜んでくれているその場で、一緒に喜べるのはもっと楽しいことだ。

 「ひとこと」と言われたので、「こういうことやって給料貰えてラッキーです。」と言ったら笑われた。
 「いつも裏方で支えて表に出てこないオマエが、ちゃんと顔を見せてちゃんと自分の想いを話してみんなに拍手されてる姿に感激した!」と、酒が入ってイイカンジになったオッサン同僚に熱く言われて、「うん、ありがとー」と言った。

 会社の本来的な業務には全然関係ないことだけれど、回りまわって社員のためになる、会社のためになること。そういうforesightedな(うぉ外資企業病か!しかし上手い言葉が見つからん)物事の判断ができる周囲に恵まれて、居場所を貰って、私は幸運だと思う。



 恋人も、昨日の夕方に何とか博士論文を提出した。
 ギリギリまでかかり、なかなか思うような完成にはならなかったようだが、それでも今朝電話した様子ではすっきりした感じだった。今日は早速、執筆中ほとんど有休を取っていた九月分を取り戻すべく、日曜出勤中だ。


 ひとつのことが昨日で全部終わり、今日から新しく始まった。
 私は明日からまた新しいプロジェクトが始まり、あちこち小刻みに出張だ。


 私の仕事は、自称【社内フリーター】といっているのだが、フリーランスのように単発プロジェクトをいくつもつなげていくようなものだ。腰を据えられないそういう仕事の仕方に耐えられない人もいるかもしれないが、飽きっぽい私にはちょうど良い。それに、いろんなことが出来るし、出来るようになる。

 「仕事の報酬は仕事」とよく言われるが、ひとつ終わると次々仕事が舞い込んでくる。ここ数日は本当に忙しかったが、そしてこれからもっと忙しくなるが、リラックスして楽しんでいる。

 終わると、次が始まる。そのことにわくわくしている。
 私には努力する才能が欠如していたけれど、ものを楽しむ才能は高かったかもしれない。楽しんでしまえるから、人が努力だと思うことが、私には楽しみとしてしか認識されないのだ。努力だと思ってやったら、絶対なにも出来ない性格なのだから。

 これは、なにかにだれかに感謝だな。