星の光が絶えた場所で


発熱を自覚しながら足早に駅からの道を歩いて、ふと立ち止まった。
蝋梅の匂いだ。
線路脇の花壇。そういえば、もうそんな時季だ。


本当に私はこのところ、多くのものを見落としている。



英会話レッスンの消化しなければいけないポイントが大量に残っており、年明けから平日はほぼ毎日会社帰りに英会話に通っている。これだけ詰め込めば、確かに上達するかも。レッスンごとに講師を指名する個人レッスンのシステムなので、久しぶりに会った講師から、「すんげー上達したな」と驚かれた。
しかし、講師との相性というか講師の使う英語との相性というものがあり、イギリス人の英語はどうにも聞き取りが難しい。結局、聞き慣れているのは、ハリウッド映画の米語なのだ。イギリス人の端正な英語と語り口は、実は馴染みが薄い。
文学としては、英国の方がよほど馴染みがあるのだが。


思考回路の違いから出てくる表現の差異の発見は、他言語を学ぶ楽しみのひとつだ。
そして、会話の端々に見て取れる、一神教的価値を根源とする世界観。それは、おおむね善なるものだ。

「世界を信じている。」

そんなふうに、私には見える。
自分は、臆病だと思う。



私が怠惰さから遠ざけているものたちが、今の私に欠けているものだという自明の理は承知しているのだ。
けれど、もう少し。