ムツばあさんの秋

10年ほど前から数年毎に取材に訪れ、そのおばあさんを中心に構成されたシリーズだったようだ。時折、幾分若いころの映像が挿入される。

確実に老いは訪れ、人は去り、そして数ヶ月前に伴侶を亡くした。
「さみしいよ。」
そう呟く、しわでくしゃくしゃの小さな顔。

過疎も進み、かつて斜面一面に拓かれた段々畑は、人の手を失い荒れていく。
おばあさんは、その土地を荒れたままにしておくのは申し訳ない、せめて花を咲かせて山に返そうと、おじいさんと二人で花木やもみじを植えてきた。
この村に誰もいなくなっても、人が訪ねてきた時花が咲いていたら、どんなに嬉しかろう、と。

そして独りになった今、二人で守った小さな畑も、花桃の苗を植えて山に返すことにした。


わずかな老人だけが残る集落で、みな一様に穏やかで、眼差しは静かだった。過去の思い出と、現在の日々に見出す小さな喜びをその節くれ立った手でぎゅっと掴み、深いところに沈めているような。口数の少ない、優しい人々。

老人と言うのは、どこか神に近くなっていくように見える。かつて、童と翁は神とされていた。そんなことを思い出す。自然を切り拓き、時には人の営みに塗り替え、やがて歳月を重ね、欲望から切り離され、人は自然の一部に還っていくのだろうか。


番組終盤、いつものようにおばあさんの家を取材に訪れたカメラマンは、数日前におばあさんが脳梗塞で倒れたことを知る。おじいさんの新盆は、街に暮らす長男が代わって準備した。


やがて秋。
二人が20年も前に植えたもみじが、立派な大木となって色づく。
その枝の下には、おじいさんが設えた腰掛がある。
「通りがかった人がここに座り、もみじを見てくれたらどんなに嬉しかろう」


やがてこの集落も山に還り、二人が残した花木が、偶然通りがかった人の目を喜ばせるのだろう。
そして静かに深く胸を打ったこの物語を、人々はきっと伝えていく。
このもみじを植えた、老夫婦の思いを。


身近に伝わる民話や伝承というのは、こうやって残ってきたものなのかもしれない。
伝説は、こうやって作られるのかもしれない。