守られない約束をしよう

毎年というか毎四半期というか毎月というか、程度の差はあれ恒例なのだが、ひどい眩暈と偏頭痛。月初に向けてどうしても忙しく無理をするから、月が明けた途端に具合を悪くする。
しかも、こんな春うらら。
休んでやることにした。


昼過ぎまで頭が割れるような痛みに七転八倒しながら薬でようやく抑え、簡単な食事をして外に出た。
去年から始めた英会話の教育給付金申請に、ハローワークまでてくてく歩いていく。


高校のグラウンドを過ぎると、花盛りの森。古代の陵を護る、市内でも有名な桜の名所だ。老夫婦が、春休みの孫たちを連れて花見をしていた。風が吹くたびにはらはらと舞う花弁を掴もうと跳ねる子供たちの、高い笑い声が響く。幸福な光景だった。
こうやって、一人で街を歩くのはものすごく久しぶりだ。


家を出る前に見ていたTV番組のアイキャッチに、小田原城の満開の桜を映していた。
久しぶりに見た故郷の懐かしさになんとなく感傷的な気分になって、歩きながら過去のあれこれを思い出す。


「そこにいてくれるだけでいいんだ」
何不自由ない生活をさせてあげよう。


かつてそんな風に私を手に入れようとした人間が何人かいた。私はどういうわけか、そういうことを言われがちな人間だった。
その頃の私は、自分はそうやって誰かに飼われるしか生きる術がないのかもしれないと思っていた。だから、去った。そうして世界を建て直し、自分で自分を養う術を見つけて、何とかこうして生きている。

存在するためのだけに、私は生きていけない。ましてや、一切を相手に委ね、その心変わりに怯えて暮らすなんて。

あれは敬虔な振りをした、独占欲だった。無知で傲慢な。私に全てを捧げるように見せかけて、私から全てを奪う誘惑だった。そんなものたちを掻い潜って、生き延びてきたのだ私は。

だから、結婚に抵抗があるのは仕方ないことなのだ。
(↑それがいいたかったらしい)



週末は実家で花見の茶会があるとかで、手伝いに駆り出される。母は実家の茶室で茶道と懐石を教えており、この茶会も毎年恒例なのだとか。
40人もの客があるらしいが、うちのあの茶室でそんな人数どうやって。聞けば毎年規模を大きくしているのだそう。なかなかヤリ手だな。
父も同様に駆り出されて、終わったその足でドバイに出張だそうだ。定年前だというのに、ここ数年の父は海外出張続きで、ほとんど日本にいない。


久しぶりに街の本屋さんで雑誌を物色し、雑貨屋さんでフェアトレードの紅茶を買って、スーパーで野菜と果物と豆腐を買って、家に帰った。
窓を開け放しておいた部屋には暖かい空気が満ちて、心地よかった。


いつの間にか頭痛は消えていた。
明日は会社にいこう。