女神の正餐

KyrieEleison2009-02-19

先月からリストラだのなんだのでごちゃごちゃしていたが、ようやく新しい体制で動き出してきた。
いろいろ引きずるものは多いけど、なんとか前に進んでいる。それが救いだ。

そんな中、恋人と城崎にて一泊二日カニと温泉三昧の旅を敢行。生き返りました。もぉカニ刺しが大変美味で。
最近シーフードを克服しつつある私。これで生ガキとカニ刺しは食えると胸を張れます。



ところで、ここ一年ほどでショッキングな事件として、若い女性がマンションの数室先で骨まで砕かれて遺棄された、いわゆる神隠し殺人事件がある。
事件の発生した状況が、あまりにも無造作というか軽率というかとにかく簡単過ぎて、女性ならだれもがひとごとではない。珍しく公判の記録を追っていたのだが、先ごろ地裁での判決が無期懲役として出された。


たまたま同じマンションに住んでいて、その日その時間に帰ってきた為に強姦目的で監禁され、捜査の気配を恐れた被告に殺害された。被告はその後、隠滅のために被害者の身体を切り刻み、遺棄する。身勝手で軽率な犯行で希望に満ちた若い女性の未来を奪い、そのうえ死者の尊厳を顧みず遺体を破壊しつくし下水に捨てた罪の重さとは。


だれもが、被告本人すら死刑を望んでいたが、そうはならなかった。しかし、これは妥当な判決なのだと思う。
被害者を死に到らしめる経緯、つまり被害者がどんな目に遭ったかがもっとも重要とされるのであって、殺害後に死体をどうしたかとか遺族がどんな思いをしているかとかは、さほど刑の軽重には影響しない。それはそうだ。悲しむ遺族がいないから刑が軽くなるなんてことはあってはならない。
もちろん最高裁までいくのだろうが、判決は変わらないだろう。ただ、そうだとしたら、遺族はずっと、その死を望むほど強く人を憎み続けなければいけないのか。やり場のない思いを抱き続けなければいけないのか。そのことが、痛ましい。


公正さゆえに、司法の場に彼らの救済は用意されてはいない。


殺人罪の咎とは、人を殺めることはもちろんだが、それに値するくらい強い憎しみを残された者に植え付けてしまうことでもあるだろう。そして、罪を犯した者の償いとは、実際は被害者本人よりも遺族に対して為されるものだ。


それを考えれば、死刑制度はやはり、適切ではないのかもしれない。報復的な制度だ。そのことが悪いことだとは思わないが、それはたぶん何も生み出さない。そこにあるのは、破壊だけだ。
償う機会も、もしかしたら赦す機会をも、奪ってしまうことになる。


時々、それぞれの立場を想像してみる。やはり、一番辛いのは遺された者だろう。
けれど、死刑が一番重い刑罰とは限らない。