風と光と貴方の王国
金曜日、家路の途中に見上げた空に、十四夜の月が輝くのをみた。
遮るものの無い夜空に月は皓々と高く輝き、漣のように薄く寄り添う雲だけが、鱗翅のように光を受ける。月は、夜の海を渡る舟のようだった。
月を見たのも、久しぶりな気がする。
このところ私は、多くのものを見落としている。
肯定への疲弊が重なると、澱のように私を深みへ引きずり込む。
サイトを始めたばかり頃、こんなご指摘というかご意見をいただいたことがある。
もしや本心では絶対者(もしくは理念など)の足下にひれ伏したいのではないか。
世界は相対的であると観念上で理解しながら絶対性を待望する気持ちがその裏に間違いなくある。
「絶対性」とか「普遍的な規範」を求めること自体が人間の病気だと個人的に考えています。
今でも時々思い返す言葉だ。
私が自分に課しているものは、多い。それはおそらく、自身を信用していないからだ。
箍をはずしたときの自分の為し様を、私は危惧している。
一切からの解放を望みながら、その一方で、絶対者による支配を渇望しているのはそのためだ。何も考えずに済むくらいの絶対的な服従を、それに値する独裁者を、いつも探している。
そして、この世界から連れ出して欲しいと、希求しているのだ。
自分の弱さと怠惰を自覚しながらも。
この、世界が喜びと輝きに満ちた四月の、その一片の光すら届かない底に。
私は横たわり、目を閉じて足音を待つ。
その想像の不健全さと不毛さが、時に私を救うのだ。
故意に病むことが、何かへの復讐だとでもいうように。