On Earth as it is in Heaven

 通院のために早退する。

 16時を回ったくらいではまだまだ日は高く、すっかり夏の日差しとなった陽光の下で見る街は、不思議と眠たそうに見える。電車の窓から見える景色が鮮やかで、ほとんど乗客がいないのをいいことに窓にへばりつく。

 視界に広がる緑の中、時折目を奪う花の赤。
 緑柳紅花。
 法爾自然(じねん)のうつくしい理。



 病院ではひどく痛い注射を打たれた。
 涙目で「なんでこの注射いつもこんなに痛いんですか?」と聞くと、薬液が重いため血管を流れにくいとのこと。薄めてサラサラにしてから打ってくれればいいのに!と思ったが、そうすると大量の液体を注射しなければならなくなるらしい。そりゃそうだ。
 「良く揉んどきや」と看護婦さんに笑われた。

 会計を待つ間、言われた通りしつこく揉んでいたら、いつもの鈍痛はさほど感じなくなっていた。気をよくして、自転車で遠回りして帰ることにする。


 一駅向こうの本屋に行こうと、田んぼの中の道を抜ける。
 あちこちで梔子の甘い匂いが鼻先を掠め、零れるような緑の林を雲雀が高く飛ぶ。緩い水を湛えた池を囲む木々が、斜陽にはっとするような陰影を作る。八幡社の境内には、作り変えられた茅ノ輪が未だ清しい青さを残している。

 ほんの数時間前まで、大阪の真ん中で仕事をしていたのに。
 帰ればこんな楽園が待っている。

 買い物を済ませ、帰りは別の道を通る。
 田園地帯を通り抜けるようにして新しく拓かれたその道は、車も少なく、眼下には風に揺れる稲波が見渡せる。静かで、山の向こうに沈む夕日が見える。
 ふと、人口音が途絶える。
 そういう場所が、いくつかある。

 点在する家の窓からは、夕餉の支度の匂い。人の営みの気配。
 庭先へ出て夕涼みに集まる老人たち。傍らに寝そべるネコ。

 こういうものたちをたどって一日を終えられたなら、世界は静かにいとおしく、しあわせなものに思えるのだろう。


 世界の外側にある、何者かの慈しむ眼差しを感じる。