To love somebody equally


 天気がいいのであちこち出歩くつもりだったけれど、暑かったので結局家でだらだら過ごす。
 いやまぁ、たまにはこんな休日も必要だ。

 私の部屋には風の通り道があって、そこにクッションを積んで横になる。
 ケルト音楽を聴きながら、風に膨らむカーテンを眺めているうちにうとうとする。こういう時間が至福なのだ。バグパイプの音は、夜の森に伸びる月の光だと思う。



 夕方、日差しが弱まった頃恋人がやってきたので、「散歩に連れて行け!」というと、「高飛車な飼い犬みたいだね。」といわれた。わん。


 いつもの山手の天辺に行く。
 ここは静かで空が広くて風が吹いている。夕涼みには最適だ。暮れてゆく空を眺めながら、缶ジュース片手にあれこれ話をする。あるいは、黙って稲を揺らす風の音を聴いたりする。


 「あんたは確かに運がいいけど、その運をすぐ人に譲っちゃうじゃん。」
 話しの折にそう指摘すると、彼は「良く見ているね」と驚いた顔をした。

 たぶん、相互の利害の絡まない場所にいるからだろう。最近、お互いのことが良く見える気がする。相手への理解の精度が高くなってきている。

 「君は美しいものを美しいといえる人だけど、
  自分でそれをつくろうとはしない人だ。
  すでにある美しいものを讃えているだけじゃないか。」

 恋人のその言葉が、ストンと私の深いところに刺さった。
 私はだから、たとえ「自然は美しくて当たり前!」と言い切ってしまうような散文的な男であろうと、彼を愛するのだろうと思う。

 時折彼から与えられるこの棘の痛みを克服するために、私は闘うのだ。いつも。
 そのことが、高みへと引き上げてくれる気がする。

 甘ったるい優しさなど持ち合わせてはいない男だが、私には必要な人間なのだ。



 いくつか、面白いことを言われた。

 「君と付き合っていると、僕は本当は男もイケるんじゃないかって
  気がしてくるよ。」

 「君を見ていると、人間て自分で決めるために生まれてくるもの
  なんだなって思う。」

 前者は揶揄で、後者は賞賛(推定)だ。
 どちらも、少し呆れた様子がおかしくて、笑い飛ばしてやった。


 ただ、今日のこの斜陽の中で見た顔や聞いた声、暮れる空の色や夕風の肌触りは、心のどこかにずっとしまわれる気がする。

 そういう時間だった。