葬列の街
朝から、予報どおりの快晴。
洗濯をしながら、VAN HALENを聴いてテンションを上げてみる。エディのギターは最高だ。
ファーストアルバムでぶちかましたEruption(暗闇の爆撃)は、まるでバッハのオルガン曲。彼の領域がクラシックなら、間違いなくヴィルトゥオーゾと呼ばれていただろう。
絶対に揺るがない音感とリズム感といい、あの人は本当に音楽の天才なのだと思う。
こんな天気のいい日はぜひとも恋人と散歩に行きたいところだったのだが、生憎彼は先輩の結婚式二次会に出席することになっていた。わかっていながらもがっかりしてみせると、なぜか胡麻豆腐をくれた。
お詫びのつもりか?意味がわからん。
一人でふて寝のように昼寝をし、夕方になってから散歩に出掛けることにした。
とはいっても目的はホームセンターに自転車を買いに行くこと。あちこちガタがきていた上に鍵をなくしてしまい、この際だからと買い換えることにしたのだ。
ホームセンターまで、普通に歩いて15分。しかし、散歩も兼ねているので回り道をしながら気の向くまま歩く。
長年住んでいる街でも、知らない道はまだまだたくさんある。とりあえず、山手に向かう。
教会の傍らを通って山手の上まで登ると、高校がある。土曜の午後ではあるが部活動中の生徒がまだ結構残っていて、校舎に響く若い声を懐かしく思ってみる。私の通っていた高校も、こんなふうに緑の多い街の山の手にあった。
高校の前を過ぎると、奈良時代の遺跡のある児童公園。遊具で戯れる子供たちを見守るように地蔵菩薩が立っていて、そのセンスにちょっと感銘を受ける。
ここを造成した大人たちの、祈りを感じ取る。「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」と呟いてみる。
緑のトンネルを抜け、山手の裏に出る。このあたりの家は斜面に建っているので、張り出した敷地が空中庭園のようだ。綺麗に整えられた庭に憧れながら、いくつかの坂や角を過ぎる。
分岐路に不自然に立つ、大きな楠の根元に小さな祠を見つけ、立地の不自然さに合点がいく。道を整備するときに祠をそのまま残したから、こうなったのだ。
かつてこの街道を見守った石仏が、今はこうやって守られている。
こういうとき、人の手はうつくしいと思う。なにものかを守る手はうつくしい。
ちらちらと視界に揺れる木漏れ日が徐々に黄色みを帯びてきて、斜陽の気配を竹薮越しに感じる。
竹薮を抜けると、工事中でむき出しになった斜面に、なぜかツバメが集まっていた。
吹き上げる風に羽を広げて遊んでみたりしながら、一様に西を向いている。夕焼けを眺めているのだろうか。ツバメも、夕焼けを綺麗だと思うのだろうか。不思議な光景だ。
いつもなら15分の道を、一時間近くかけて歩く。
恋人と散歩するのもいいけれど、一人で歩かないと見えないものはたくさんある。
空に散るように飛び立つスズメの群れや、オーケストラの調音のようにして鳴きだすカエルの声。
この世界は、鮮やかだ。
自転車は、白い直線的なものを選んだ。
乗り心地は上々。
そのまま、ぐるりと遠回りして家に帰った。