僕の目を見て、僕に触れて。


 暴力は、複雑さに対する耐性を持たない者の怠慢だなぁ、と思う。


 朝、NHKジュニアスペシャルの再放送で、中世のエルサレムで実現したイスラム教・キリスト教のそれぞれに属する二人の王の結んだ和平条約を取り上げていた。

 当時のエルサレムアイユーブ朝アルカーミルらイスラム教徒が支配し、それに対してキリスト教圏が断続的に十字軍を送るという状態。
 その時、教皇より十字軍派遣を要請されたシチリアフリードリヒ二世は、海洋交易基づいて異文化が共存する土地で生まれ育った、大変リベラルな世界観を持った王だった。彼は教皇より破門されながらも、戦いによる聖地奪還ではなく、対話による和平を試みる。

 番組では、このフリードリヒとアルカーミルの二人の王を中心に、出演する子供たちに実際にイスラムの文化を体験させたり、日本との繋がりや違いをわかりやすく説明する。
 中でも面白かったのは、三つの宗教が聖地を主張するエルサレムのこの難しい条件の中で、どうすれば和平が実現するのかを、子供たちに実際に考えさせたところだ。複雑さに自ら取り組むための、こういう訓練は必要だ。


 フリードリヒはイスラムに対する敬意を持ってアルカーミルに接し、アルカーミルもそれに応じる。友情に基づいた忍耐強い交渉と対話の結果、エルサレムはフリードリヒを皇帝としキリスト教徒に譲渡され、ただし、イスラム教の聖地である神殿の丘のみはイスラム教徒のものとして不可侵が約束された。

 このとき交わされた条文の中の、いくつかが紹介された。

【第一条】
スルタンは皇帝がエルサレムを統治することを認める。
【第ニ条】
皇帝は神殿の丘を侵してはならない。神殿の丘はイスラムの法に基づきイスラム教徒が管理する。
【第四条】
神殿の丘の威厳と尊厳を敬うキリスト教徒は、神殿の丘へ立ち入ることが出来る。
【第六条】
皇帝はスルタンに敵対する勢力に食料や援軍を提供しない。キリスト教徒やイスラム教徒、いずれの場合も同様である。
【第八条】
この平和条約に反する行動をキリスト教徒がとる場合、皇帝はスルタンを守る。

 相手の尊厳に敬意を払う。これが、人としての美しさなのだと思う。


 しかしながら、この二人の王が交わした和平条約は、イスラム教・キリスト教それぞれには受け入れられず、和平もアルカーミルが死ぬまでの10年ほどで途絶えた。フリードリヒは異教徒と手を結んだ異端者として、破門を解かれることなく、教皇との敵対した戦いの中死んで行った。


 フリードリヒの遺体が纏うイスラム風の装束には、アルカーミルに寄せられたと思われる言葉が刺繍されている。

 「友よ 寛大なる者よ 誠実なる者よ 智恵に富める者よ 勝利者よ」

 それでも、これは歴史上で実現した和平の尊い実例だ。友情と親愛に基づき、人間は争いをやめることが出来る。
 フリードリヒの言葉に、国やセクトなどの小さな括りではなく、人類としての真の勝利をおもう。おそらく、今争っている者たちが掲げるどの神も、説くところはそれなのだ。


 フリードリヒは、「あるがままに見よ」といった。
 先入観や偏見で曇らない目で、思惑で歪まない心で、相手を正しく学び、理解し、そして過たず見よ、と。
 実際、知ることで解決されることは、驚くほど多い。



 今この時期に、この番組をやっていたことは大変良い偶然だ。
 出来るだけたくさんの人に、特に子供たちに、見て欲しいものだった。