Caeca est
気温はそれほど高くないと思っていても、湿気がひどい。
生暖かい霧の中を歩くような感覚。こういう気候は、体力を消耗する。
今週から、一週間の夏期休暇に入る。
サービス業であるがゆえにカレンダー通りに会社はやっているが、夏期休暇は自分で決めていいことになっている。私は両親と信州に行くことになっているので、父の休暇に合わせて休みを決めた。
基本的に私は一人でやる仕事が多いので、私が関わる全ての業務はストップさせての休暇だ。あらかじめ、「一週間休暇をとるので用があるならその前に済ませるかそれ以降まで待て」と言っている。
我ながら、相変わらず極悪非道な仕事っぷりだと思う。
週末は、恋人と久しぶりに街を散歩しながら、あれこれとりとめもない話をした。
いつの間にか話は、六道における地獄の存在論的解釈について。なんだか、大学院時代の学会前みたいになった。
「地獄とは、罪業を相殺する、つまり救済のための装置である」と、私は解釈しているが、そうなると地獄は、輪廻転生先を決定するという六道の他の世界とはあまりにも異なる属性を持つこととなる。地獄の定義そのものを精査しなおさなければならない。
私の解釈に恋人は妙に食いついてきて、あれよあれよという間に話は展開し矛盾点は解消され、一説が出来上がってしまった。
それにしても、こういう感覚はすごく懐かしい。大学院時代はこうやって、三人寄れば文殊の知恵的に仲間同士で研究の話をした。
そこから垣間見える相手の世界観や情熱に、ちょっと胸を熱くしたりしたものだ。
昨日は盆の入りということもあり、お坊さんが棚行に駆け回っていた。私の大学時代の僧籍にある友人たちも、この時期はいつも忙しそうであまり遊んではくれなかった。
あちこちの玄関先に、迎えの壇が設えられている。
日が落ちれば山手には迎え火が点々と灯り、天から無数の祖霊が導かれて降りてくるのが見えるようだ。
都会に出ていた子供たちが帰省している家が多いためもあるだろうが、家々に居る人の密度が、いつもより高いような気がする。
過去を懐かしみ慈しむ、暖かく賑やかな夜の気配。
祖を敬い血を重んじる日本人の歴史観みたいなものを、お盆のこの時期になると意識する。
明日の宵は、送り火。
中有の闇から来た者たちが、また闇に還ってゆく。