Hortum Veritatis


 久しぶりにやっつけ仕事を見破られ、肩を竦めてやり直す羽目になった。
 しかし、相手の戸惑った様子に、要領の良さに溺れて相手の期待を裏切ってしまったことに気づく。
 珍しく仕事が原因で落ち込んでいるのは、そのことが堪えているからだろう。少なくとも、人に求める程度の誠実さは、自ら持ち合わせておくべきだった。
 少し、奢っていたと思う。




 夏期休暇を終えて、すっかり日常は戻ったものの、体調が思わしくない。しかも、今まであまり経験のない外科的な不調である。

 うちの血筋はわりと不老不死なので、腎臓が弱いとか心臓が弱いとかちょっとした脆弱さはあるもののあまり大きな病気には至らない。私などは、血族の中でも大分弱い方だが、それでも手術をしたり長期入院を経験したことはない。
 恐ろしいのが一族の老人たちで、白髪も無ければ禿げてもおらず、入れ歯も使っていない。老人にありがちな腰痛や神経痛とも無縁で、現在八十代であるが放っておいてもあと二十年くらいは平気で生きているだろう。

 滅多に死なない。そういう一族なのである。
 実際、古い家なので親戚は多いが、この十五年の間、六親等以内で葬式が出ていない。私自身も、そうやって延々と年をとり続けるつもりでいた。

 が、ここに来てなんとなく首やら足やらに不調が出ているのである。
 困ったことに、首が痛いと訴えても誰も経験がないのでその対処方法を知らない。適当な民間療法を提案されてみたり、それぞれが違うことを言ったりと、頼りにならないことこの上ない。

 会社の近くの整形外科に行ってみたら、首の骨がずれていることによる神経痛だと言われた。えー。
 首が細くて長いので、頭を支えきれずに歪んできているのだという。仕事柄、ずっと同じ姿勢でいることも原因のひとつなのだとか。

 帰省中、不調を訴える私に母が「もう若くないんだからさぁ」と言い放った。
 わーん。そうなのかなぁ。

 一族の中でも比較的弱い個体が、一族のほとんどが経験したことのない環境に身を置いているのだ。確かに、これまでのようにはいかないのかもしれない。実際、周囲の人間は誰も信じてくれないだろうが、老け方は私が一番顕著だ。

 自分に適合した環境で生きられないのは現代においては仕方ないことだが、そうでない人のほうが実際は少ないのではないだろうか。みんな、多かれ少なかれ同じジレンマを抱え、それでも宥め賺しながら生きている。


 人間は、巨大な蟻塚を作ってしまった。
 そして、時折大地を懐かしむしかないのだろうか。