いまひとたびは未練で眺め

 家の用事で一昨日から帰省し、今朝帰ってきた。相変わらず北陸は遠い。

 関西は晴天続きだったが、北陸はこの一ヶ月ほどほとんど晴れ間が無いのだとか。確かに向かう途中、福井を過ぎたあたりから空が低く暗くなり、みぞれ交じりの雷鳴に見舞われたりした。
 しとしとと降り続く雨は、どうにも陰鬱な気分にさせられる。それでも、北国特有の寒暖差が紅葉を見事に染め上げ、里山の枯れた色と相俟ってちょっとした目の楽しみとなったが。

 それにしても、北国の脆弱な日差しと湿度を含んだ冷たい大気に調子を取り戻す肌に、生まれも育ちも関東でありながら父方の血統が色濃く出たDNAは間違いなく北陸のものだと、不本意ながら自覚する。このところ、疲労もあって肌のコンディションは最悪、史上最高に老けていたというのに、北陸に降り立って一晩過ごせば実年齢-5歳くらいにはなっている。
 おかげで自分のルーツを再確認できたのはいいが、アイデンティティは若干崩壊気味だ。


 今回の召還は、海外に行った両親が留守の間、祖父母とネコの世話をするという名目だったが、どちらも私がわざわざ行くほどのことも無く、足が悪いながらも祖母は難なく家事をこなし、祖父はネコの面倒を見てくれていた。茶事やら旅行やらで泊りがけが多い母の不在の間、彼らは留守を預かる者として良好な関係を築いているようだった。
 若干拍子抜けしながらも、孫の私を独占できることを祖父母は喜んでいるようで、これはこれで良かったかな、とも思う。こんなふうにべったり祖父母の相手なんて、両親がいたらしないもんな。結婚をうるさく言われるのには、少々辟易したが。

 祖父は旅と歴史が好きで、そんな話をあれこれしてくれる。
 戦争で中国に行った頃の話に普通に蒋介石とか毛沢東の名前が出てきて、生きた歴史が目の前にいるのだとちょっと驚いてみたり。

 祖母は、普段は母に任せっきりの家事に少し張り切っているようで、昆布をふんだんに使ったお煮しめなど、田舎の素朴な料理をたくさん並べてくれた。
 洋食が多かった母は滅多に作らなかったので、煮物などは実はあまり食べ慣れていない。ありふれた家庭料理なのだろうが、だから私にはちょっと嬉しいものなのだ。

 私が食事の支度をするはずだったのだが、結局ほとんどご馳走になるだけだった。それでも、食事をしながら大笑いしたり、一緒に台所に立ったり、するだけでも喜んでくれていた。

 何を感じて生きてきたかとか、何を考えているのかとか、お互い自身のことなんて、本当はほとんど知らないのだろうけど。それでも、こうやってただ在ることを喜んでくれるのは、不思議なことだと思う。そして、ありがたいことだと思う。

 存在への、無償の肯定。
 そういうものを、強く感じた。