Sleeping Sun

 月初に会社のクリスマスパーティを終え、気分はすっかり仕事納め、今年やることは全てやり遂げた!くらいの充足感と共に消化試合に入っている今日この頃である。ボーナスも貰ったしな。

 会社のクリスマスパーティが終わると自分のクリスマス気分まで終わってしまいがちで、街に出ても「いつまでクリスマス気分で浮かれてるんだよ!」とか思ってしまうのだが、クリスマスまであと半月もあったのね。ルミナリエ(神戸のクリスマスイルミネーション)だって一昨日始まったばっかりだ。


 私はといえば、着々と新居の居住環境を整え、今日テーブルが届いたのを最後にリビング&ダイニングなんかは使い勝手も居心地も良い理想的な空間に仕上がった。あとはもう、欲しいものも特に無い。階下の書庫の整理を進めるくらいだ。

 相も変わらず役員たちが過大評価してくれるおかげでボーナスも結構な額を貰ったのだが、引越し諸経費の穴埋めのためにそのままスルーだ。タダで引越しが出来たことにして、浮かれず無駄遣いせず、通常通りの慎ましい生活を送る。私って理性的。

 律せられた生活を送ることが出来て、大層満足している。インスタントに甘んじない、手を抜かない丁寧な暮らし。ようやく落ち着いて、そんなふうに過ごせる。


 ココアパウダーを練ってゆっくり作ってみたココアは、シナモンやペッパーなどのスパイスを加えてみると蕩けるように身体を温めた。

 お茶を何度も淹れ直したり、海外土産の珍しいお菓子をつまんでみたり、ソファで転寝したり。
 外は雪が降りそうな空。
 けれど、ここは暖かくて静かだ。



 毎年、年末になると無残な事件が増えるような気がする。
 今年は特に、子供が犠牲になる事件が続き、犯罪者の卑劣さと幼稚さが殊更目に付く。子供相手に、殺さざるを得ないほど衝動的な欲望を向けるのか。殺したくなるほど腹を立てるのか。
 私自身はもう、三十を過ぎてみると大概のことでは大きな感情を動かされなくなったような気がするのだが。


 死が、あまりに安易に与えられる。一番遠ざけなければいけないはずの、子供たちにまで。今はまだ、世界はただ美しいと信じていられるはずの、彼らにまで。

 誰かが信じなければそれは存在し得ないものなのだとしたら、世界の美しさなんてやがて消滅してしまうのではないだろうか。エンデの物語のように。

 悪や猜疑が前提の世界しか知らない子供たちだなんて。
 本当に恐ろしいのは、そのことなのかもしれない。