一度だって

しあわせな肉球


うちの会社はよくあるかんじの商業店舗・オフィス複合型のビルなのだが、時々エントランスホールでクラシックのミニコンサートなんかをやっている。


昨日、所用ついでに通りかかったのだが、ピアノの伴奏に合わせたテノールの『カロ・ミオ・ベン』が痛みを感じるくらい身に染み込んで、びっくりして思わず足を止めてしまった。
ピアノな静かな上昇音階が、ある幸福な情景を思い出させたのだ。


こういう瞬間はたまにある。
弱ってると、刺激に敏感になる。


そうこうしていたら、また低音型難聴。
病院では、ストレスが原因のことが多いので頑張り過ぎないようにと言われたが、実際には、頑張り過ぎることより、頑張る機会が与えられないほうがストレスだったりする。


そして、秋だ。


この時季は、どうもおかしくなりがちで、一方的な喪失感を何年経っても飼い慣らせずにいる。かつて失ったものが何であったかすら、もう思い出せないと言うのに。


9月下旬は、友人と香港に行く予定にしている。海外は半年ぶりだ。
彼女は大学時代の同じゼミの友人で、関心の方向が近く、特にアジア方面にその威力が発揮される。やはり共に仏教学をやっていただけあって、仏教国に強い。どんなにレアな所に行っても一緒に楽しんでくれるし、どちらかというと思想研究寄りだった私の知識を補完してくれる頼もしい同行者だ。


旅行手配であれこれ調べるのは楽しい。
パッケージツアーも楽だけれど、待ち時間が長かったり興味のない免税店に連れていかれたりで、結構時間のロスが多い。
故に、これも旅の醍醐味と自分で手配する。


こうやって、気を紛らわせて生き延びている。