素粒子縁起

「淑女」、というと真っ先に美智子皇后を思い浮かべる。
正しく品性を伴う教養を身につけた女性だと思う。


テレビで皇室特番をやっていたのだが、紹介される広い視野と深い思慮から発せられた美しい日本語に、最近こういう言葉を耳にすることが少なくなっていたのだと、改めて思った。


阪神淡路大震災直後に現地を訪れ、当時失語症から回復したばかりの皇后を気遣う被災者に、
「わたくしは大丈夫。」
と応え、人々を励ます姿が印象的だった。
その語調の凛とした美しさ。眼差しの慈しみと強さ。私にとって、人としての在りようの美しさを教えてくれる女性とは、マザー・テレサ美智子皇后なのだ。


興味を惹かれて、宮内庁サイトの講演文章などを開いてみたのだが、非常に興味深く読み入ってしまった。
普段、実生活で触れている言葉というのはやはり、仕事道具だな。心を耕すものは、また別の場所にある。そして、そういうものたちを意識的に摂取しないと得られない環境に、今の自分は居るのだ。そのことは、自覚しておこう。



平均株価が大幅に下がり、ついでに弊社の株価も最安値を軽く更新し、放火による火災に巻き込まれたくさんの人が亡くなった現場は通勤経路上だったりして、少々鬱々とせざるを得ない日々。その一方で、日本人が次々とノーベル賞を受賞している。


仕事上困難な局面にあるときやヘコんだとき、卑近な例ではあるが父の話を思い出すようにしている。
うちの父は、ある精密機器メーカーに新卒で入社したときから、来年定年を迎える今まで勤め続けている。かれこれ八年ほど単身赴任をしながら、現在は子会社の社長や本社取締役をしており、国内外の営業部門を統括しているため、月に何度も海外出張をこなし、時にはゴルフを楽しみ、またこまめに赴任先から家に帰り、時間を作っては母を旅行に連れ出したりしている。エネルギッシュに悠々と、娘の私から見て、今が一番仕事も人生も楽しんでいるように思える。
けれど、若いころは会社の経営危機で給与の未払いがあったり、業績不振でボーナスが出なかったりという時期が何度かあったという。育ち盛りの私や弟を養いながら、あまり人当たりも要領もいいように思えない父が、それでもその時期を凌いできた。四十年。


誰もが順風満帆なままでいられるわけではなくて、ノーベル賞を貰った人たちだって、長く不遇の時代はあっただろうし、計り知れない苦労も悔しい思いをしてきたこともあっただろう。株価も、十年あれば山と谷を二巡するらしい。
父の話は、「今がその谷の一つなのかもしれない」と、視野を先に伸ばす助けとなっている。


複雑さと困難さ。そして、それを超える人々。耐えること、そしてそこから学び取り前に進むこと。
絶望と諦めを戒めながら。