風の誕生日

「急ぐと何も残らないから。」


日曜日の夕方は、NHKをつけっぱなしにしている。
18:00からの海外ネットワークニュースでは番組の終わりで「世界の子供たち」とうコーナーがあり、ピックアップされた国の子供たちが、それぞれ熱中していることや夢を語るのだが、私はこれが好きでいつも見ている。


今日は、ラオスで伝統的な人形劇を学ぶ子供たちのインタビューだったのだが、大人でもなかなかこうはいかないのではというほど成熟した答えで、少々驚いた。

「ここで学ぶことは自分の世界を広げてくれるの」
「いつも今日が一番いい日になるといいとおもっているよ」

そして、冒頭の言葉だ。
大人たちに言われている言葉をそのまま口にしているのかもしれないけれど、だとしたら、たとえ意味はよく理解していなくても子供たちが自分で口にできるくらいに染み込ませている大人がいるということで、それはそれで凄いことだ。
急ぐと何も残らない、と。ひとつひとつ大切に踏みしめて生きてきた豊かな人々。そういう国の子供たちなのだろう。


このコーナーを見ていると、いくつかの共通点が見いだせる。内戦や戦争で困難に面している、あるいは経済的に恵まれない国の子供たちは「医者になってみんなを助けたい」「国のために働きたい」といった、他者のための夢を語る。一方、先進国の子供たちは、「スポーツ選手」「歌手」など、わりと自分自身のための夢を語る。つまり、それがその国でいま必要とされているものなのだ。
「自分のための夢」「他者のための夢」のどちらがどうというわけでは、決してない。
子どもは子どもの権利として、夢くらいは自分だけのために見ていてもいいんじゃないかとも思うし、子供のころからすでに他者のために将来を捧げるという希望を持てるほどの使命感というか他者への愛情を持てるのは幸福なことなんじゃないかとも思う。
ただ、やはり困難は子供を早く大人にしてしまうのだろうな。本来子どもという生き物は空気を読まないものだと思うが、彼らはきちんと自分の為すべきことを理解して、大人への道を歩いていく。その点、先進国の子供たちは無邪な夢を語り、また大人たちはそれを望んでいるのだろう。体現された自分たちの平和を、そこに見出すのだ。できることならば、平和の中に生きる子供たちには、そうあれない子供たちの存在を知っていてほしい。


ある国で、紛争に巻き込まれ負傷した子供たちが言っていた。

「世界の子供たちに、自分たちみたいな目にはあってほしくない。
 ただ、ぼくたちのことを知っていてほしい。」


そして、未来のいつかに出会い、共に手を取り合うことができるといい。