橋を渡る時

加藤和彦の訃報に、ただただ驚いた。


父がちょうどその世代なので、幼いころから彼らの音楽を耳にしていた。洒脱なユーモアと社会派のメッセージ。強い感受性と正義感を、他者に押し付けることなく飄々とした風貌の内に隠し持った、苦悩もまた人生と楽しんでしまうような、私にとって「羨ましい大人」に見えていたのだ。
数年前に、松山猛らと数号発行した雑誌『わーずわーす』は、私にとって今もなおあらゆる雑誌の中でNo.1の面白さだ。世界の猥雑なもの、醜いもの、人の魂の気高さと美しさ、正にも負にも爆発し得るエネルギー、そういった諸々を愛したものとして紹介していた。
そんな彼が絡め捕られてしまう、死に至る病という罠の深淵。


身辺整理を進めていたらしい彼の自死は、ずいぶん計画的なものだったようだ。
会いたい人たちに会っておく、身の回りの物を整理して、親しい人たちに感謝を伝えておく。そして、影が引くように自らの身をこの世から消す。
けれど、自死をしようとする人たちの取るそういった準備は、結局自己満足だ。残された人たちは、その死に本人が思っている何十倍もの衝撃と悲しみを受けなければいけない。どこにもだれにも迷惑も影響も与えずに綺麗に死ぬなんて言うことは、やはりできないのだ。
残された人は絶対、もっとできることがあったはずだと後悔し自分を責める。人は、自分が知っている人間にはやはり死んではほしくないし、そうとなれば何とか手を尽くそうとしたはずなのだ。それが、届かなかったり間に合わなかったりするだけで。
誰かの命が失われることを、願う人なんていないのだ。
そんなこともきっと、わかっていたのだろうに。


オペラ歌手である最後の妻 中丸三千繪の語る生前のエピソードが、歌姫に片恋した男のうつくしい悲恋のようで、彼らしく哀しい。

たぶん、あんな優しい男性は世界中を探してもいません。形だけの優しさではなくて…。たとえば、彼が家にいない時、私が帰ってくると、部屋の中に『おかえりなさい』などと書かれたメモ用紙が何枚も張ってあるんです。私はそれを一枚一枚とって歩いて…。そんなことをしてくれる優しい人でした。
『離婚してほしい』と言ったのは私の方でした。それからは数年前に顔を合わせたのが最後。『幸せにするよ』と言ってくれたのに、答えられなくてごめんなさい。


数年前に発表された、鎮魂の歌を彼に。
当時私はこの音楽に救われ、何度も聞き返していた。


いまはただ、冥福を。


戦争と平和

戦争と平和