聖地巡礼道

富士登山前トレーニングの一環で、高野山に登ってきました。
富士山用のトレーニングなので、装備も荷物も全く同じものを持って、装備の具合と重量に対する自分の耐性を知るためです。
山小屋泊の行程に耐えうる容量の、新しいザックも買いました。

OSPREY(オスプレー) バリアント37 パイロ(PY) M

OSPREY(オスプレー) バリアント37 パイロ(PY) M

三倍速く歩けそうな色です。*1


さて、高野山とは、弘法大師空海の拓いた真言宗総本山金剛峯寺のある、あの高野山です。2004年に、熊野・吉野と併せて『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産にも登録されています。
「名前は有名だけど、どこにあるかがよくわからない。」という方も多いかと思いますが、所在は和歌山県伊都郡紀伊半島のど真ん中に位置する標高約800mの深山幽谷の地であり、平安の昔からおよそ1200年続く、修行の地でもあります。現在も、東西およそ2kmの町には数十の宿坊寺院が軒を連ね、大勢の僧侶がそこで生活し町を動かしている、仏教都市といえます。樹齢を重ねた杉や檜や槇の巨木に守られた静かな町には、夕刻になると勤行の声が低く響き、古き日本の空気をもっとも濃密に残している土地の一つであるかと思います。
そんな高野山はどこから行っても遠い場所ではあるのですが、大阪難波から南海高野線で二時間というルートが一般的です。自家用車で訪れることもできますが、途中の山道はカーブが多く乗り物酔いしやすいので、弱い人は相応の覚悟が必要かと。


さて、昔は電車も車もなかったのですから、当然歩いて登るわけです。実際、「高野七口」という各方面からアクセスする参詣ルートがあります。その中でも、一町(約109m)ごとに「町石(ちょういし)」という石塔婆が立った「町石道」が有名です。

この道は熊野参詣道などと共に上記『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部を構成する参詣道となっており、その昔弘法大師空海が麓の里に住まう母を訪ねて月に九度通ったというルートです。

登り口はそのエピソードから「九度山」と名付けられた里の、母堂が住んだとされる慈尊院というお寺から始まります。このお寺は弘法大師の母堂にあやかって、母性の寺というか、安産祈願等で女性が多くお参りします。

お母さんは娘の安産を、さらにその娘はそのまた娘の安産を祈願して、代々女性に親しまれてきたそうです。

こうやって乳房を模って納め、安産と産後母乳がよく出るようにとお願いしたそうです。歴史はあるものの実際はこぢんまりとした小さなお寺です。しかし、近所の人が日課のようにしてひっきりなしにお参りしていました。この日も、おばあちゃんが小銭をこつこつ貯めたのであろうお賽銭を持って、ざらざらと納めて、そして熱心にお祈りしていました。

傍らには、子供の守り仏である地蔵菩薩。丁寧に帽子と前掛けを着せられていました。
このところパワースポットブームになって人が多く訪れるような寺社に行くことが多かったので(それはそれでいいのですが)、こういう世の中の流れとは関係なく、でも途切れることのない信仰を集めて敬われているところにくると、ほっとします。
さて、慈尊院の裏手からイキナリ急な石段を登ると、丹生官省符神社があります。ここは弘法大師高野山を拓くに当たって土地を示してくれたという丹生明神と狩場明神が祀られています。この丹生明神すなわち丹生氏は弘法大師を長く助けた一族であるといい、高野山周辺のあちこちに祀られています。

急な石段にイキナリ心が挫けます。

石段を登り切った所、鳥居には茅ノ輪がありました。ちょうど6月の大祓(夏越しの祓え)の後だったのでしょう。せっかくなので、くぐってみました。これで俗界のあれやこれやの穢れが多少は祓えたでしょうか。

古い拝殿では、神職によるお祓いの最中でした。私たちも社殿の前で道中の安全を祈り、いよいよスタートです。
ちなみに、町石は180基あり、この神社の鳥居の傍らに「百八十町」があります。終点の高野山壇上伽藍まで道のりは約22km、コースタイムは6時間半で標高差は約700mあり、ハイキングコースとしては難易度の高い健脚向けのコースとなっています。
そこを歩くのです。


ところで、巷では森ガールとか山ガールとかが可愛いウェアに身を包んで気軽にアウトドアを楽しんでいるようで、実際先月訪れた足慣らしの春日山遊歩道はそんなオシャレアウトドアガールをたくさん目にしました。が、この道はオシャレとかユルカワとかそういう俗界のものを持つ余裕すら極限まで排した過酷なコース。しかも、前日までは土砂降りで、道は所々ぬかるんだいわゆる悪路。こんな山、「ナチュラルリラックス」じゃねぇ「野生の恍惚」だ!くらいのガチ登山客(というか山男)しかおりません。そんな中に紛れて、出発前はちょっと薹の立った山ガール気取りだった我々は登ってきたわけです。しかも、途中からはそんな山男たちすらいなくなっていました。

ほぼ同時に出発したはずの山男たちの一団は、あっという間に見えなくなりました。いい年をして健脚にもほどがある!私はといえばその頃すでに青色吐息で、正直この登山が終わる頃には5歳ほど老けました。見た目が。


さて、丹生官省符神社からイキナリ結構な急勾配で、九度山の果樹栽培に適した日当たりの良い(すなわち斜面のきつい)山を登ります。なかなかペースが掴めず息が上がりますが、急に登っていくのであっという間に自分が高いところにいて、木々の間から麓の町が見下ろせます。

徐々に高みに登っていく実感を励みに、この過酷な道を行くのです。


しばらくは山道をひたすら歩きます。最初は物珍しかった町石も、暑さと疲労で目に入らなくなってきます。雨上がりの気温28度で湿度は90%という、体力をひどく消耗するコンディションです。時々木々の切れ間から吹き込む涼風が、大袈裟でなくいのちを回復させるように思えます。こういう環境では、風の涼しさのありがたさ、口に含む水のありがたさがよくわかります。同時に、自分から身を削っていくものも強烈に実感できます。途中、岩盤質の岩肌が剥き出しになったところに昨日の雨が山水となって流れ、長い滝のようになっている箇所もあり、登山靴のゴアテックス生地がどれほどの防水性を発揮するのか試してみるにはうってつけでした(ポジティブシンキング)。全く靴の中に水が染み込むことなく、かつ透湿性も保たれ靴の中がジメジメ蒸れると言うこともありません。
二時間ほど歩くと、山里に出ます。天野という土地で、丹生都比売神社があります。ここも丹生氏に所縁のある神社で、こんな山奥にあるにもかかわらず朱の太鼓橋や彩色の美しく残った壮麗な社殿が、天の一角に拓けた楽土のようです。

私が男なら、神職に就いてこういう山奥の古い神社を守って生きていきたいカンジで、私の萌えライフスタイルアンテナをひどく刺激します。
お参りをしたらちょうど昼過ぎだったので、お弁当を広げることにしました。といっても、おにぎり・ゆで卵・梅干し・お茶という飛脚みたいな簡単メニューですが。
境内の藤棚下にベンチとテーブルがあり、ザックを下ろしました。背中に流れた汗がTシャツの裾から滴るという経験を初めてしました。こんなに汗をかいていたなんて!登山用に裾がツバメの尻尾みたいに下がった「汗切りTシャツ」とかあればいいのに。イヤしかし、ダイエット効果が期待できそうです。てゆーか、コレで痩せてなかったら泣く。


お昼を食べている横で、後からやってきた参拝客が「これは何の木だろう」と話していたので、「これは藤ですよ、あれは柘植の木、こっちは楓」と尋ねられるまま答えていたのだが、年配の方でも都会から来た人は意外と植物の名前を知らないものだな、と思ったり。いやむしろ柘植とかは意識して見たことないのかも。公園の植え込みとかにはあると思うんだけどね。そういうものかとカルチャーショック。うちは茶道の家なので、花や木の種類を知らないとわりかし手伝いとして使い物にならないので。
さて、小一時間の休憩を挟んで再出発。また山道に戻ります。しばらくはゴルフ場の敷地を横切る形になるので、人の声やゴルフのカートの音なんかが聞こえるのですが、ようやく山道に戻ったと思ったらまたゴルフコースだったりして、お釈迦様の手の上の孫悟空のような気分になります。どんだけ広いんだゴルフ場。また、このあたりではトレイルランニングをしている人たちにも何人か出会いました。おそらくゴルフ場に車を止めて、この登山道を含めた周辺の里山を走っているのだと思います。結構なスピードで山道を走っているのでその超人的な体力には驚きますが、せっかくなので装束を変えて天狗とか山伏とかでもイケるとおもいます。
ようやくゴルフ場から逃れられたところで、また二時間弱の山道です。途中、弘法大師が押し上げたという無茶な謂われのある岩や池があったり、日常生活ではあまり目にすることのないスペイン風オムレツのような大型キノコや唐揚げにしたら美味しそうな沢ガニなどに出会います。あと、写真には間に合いませんでしたが、目の前を茶色い小動物が飛び抜けていったりしました。おそらく野ウサギです。


なお、時々町石に紛れて小さな石仏があったりして、誰かここでのたれたのだろうか・・・などと考えてどきどきしたりもしましたが、実際のたれた人はこんなもんじゃないはずなので、単に道中の安全を見守っているお地蔵さんだろうと思います。
ちなみに、この先は疲れて写真がありません。


ようやく次の休憩ポイント、矢立茶屋に着きました。このコースはおよそ二時間ごとに休憩できる(しかもきれいなトイレもある)ポイントがあるのでありがたいです。実際、むかしから参詣者が休んだ茶屋でもあるようです。名物の焼き餅をいただきました。草餅を炙ったものですが、疲れた身体に小豆のほのかな甘さが染み渡るようです。また、山水で冷やしたというお茶も美味しくて、何杯もおかわりしてしまいました。過酷な環境にあると、こういう普段なら当たり前の小さな事がとても大きく感じられます。
ここから残り二時間。標高400mくらいを短距離で一気に登ります。
茶屋を出たときには16:30頃。そろそろ日が傾きはじめているので、時間を気にしなければならなくなってきました。ここからは車道とつかず離れずのコースになるのですが、木々が茂る山道を登るには陽が陰ってくると少々危険です。幸い、高野山は西に向けて開けているので日没が遅いのですが、これが東向きの山ならあっという間に暗くなっていたところでしょう。また、夏至から日も浅いことも幸いしました。しかし、夜間登山でなくても、こういう事も想定してヘッドライトは持っておくべきだと痛感しました。天気が悪ければ、日暮れはもっと早くなり、山はもっと暗くなります。
そろそろ休憩では解消しきれない疲れが足に溜まってきていたので、ダブルストックを使うことにしました。両手に持ったストックのおかげで、足にかかる負荷が分散されます。また、足だけで歩いていると意外と身体の脇に垂らしたままの手がむくんでくるのですが、ストックを両手に握って腕を動かしているので、固まっていた背中や肩の血流が良くなってだいぶ解れます。これは、意外な効果でした。
ややペースアップして登ることちょうど二時間。コースタイム通りで高野山の入り口、大門に辿り着きました。折しも西に真っ赤な太陽が沈んでいくところで、図ったような演出に感激しました。
辿りつく頃には、当初の「山ガール」的な目論見の微塵も残っておらず、魂が歳を取ったというか最早おばさんと言うよりおっさんになっていて、「山オッサン」という蔑称を互いに贈りつつ(我々をとっとと抜き去った山男たちは「山オッサン」ではありません。彼らは魂が少年なので)、無事踏破を喜び合いました。


ここから、徒歩5分の高野山の中心地、壇上伽藍が終点です。日も暮れて人の途絶えた伽藍は宵闇に包まれ、境内にはぽつりぽつりと灯籠の明かりが灯って静まりかえり、ほのかに香の漂う場所でした。夏のこの時間の高野山が、私は一番好きです。


ここからバス停に行き、高野山駅からケーブルカーと電車を乗り継いで帰路に就きました。
休憩を入れてトータルでおよそ8時間半。前半はややペースが遅かったのですが、後半にはコツが掴めたのかはたまた標高が上がって涼しくなったからか、コースタイム通りの速度で登ることができました。同行した友人も、大学では登山部で何度かこの山を登っていたこともあり、わりと早足の私と同じペースで登れたのも良かったです。
過酷ではありましたが、これで月末の富士登山への大きな自信になりました。月末まであと何度かどこかに登ろうと思いますが、これに比べれば屁の河童です。



今回の参考図書。

エコ旅ニッポン 高野山を歩く旅

エコ旅ニッポン 高野山を歩く旅

「高野七口」や「女人道」と呼ばれる高野山参詣道のルートや環境、歴史について詳しく考察してあり、登山に興味がある方も高野山に興味がある方も一読の価値あり。七口全部制覇したくなる危険な書でもある。

*1:オスプレー:バリアント37」かっこよさに一目惚れ。クライマーとかガチ登山家が使うような仕様になっているそうで、女性の私にはオーバースペックかもしれませんが、ギア選びにはデザインも重要な要素!スペックに見合うスキルを育てていけばいいのです。実際、今回の登山ではまったく違和感なく使えました。またサイズですが、私は身長151cmのチビなのでSサイズをショップの店員さんのアドバイスに従い各所のベルトを調整して的確にフィットさせたら、重しをかけても全然重くない!軽量素材で、しかも背面パッドやショルダーベルト・ヒップベルトのパットがきちんと身体にフィットするので、重さを上手く分散させてくれるようです。