星に連なる

春からこちら、友人をそそのかして低山トレッキングで体力作りをしたり道具を買いそろえたりと、周到に準備を進めてきた富士登山、ようやく無事に行って参りました!


山としては、五合目以上は森林限界を超えるので荒涼とした砂礫しかなく、夜間登山となるため景色も見えず、もちろん酸素も薄く、おまけに大渋滞という相当過酷なものでしたが、やはり日本一!というとそれだけでテンションがあがるものです。
行程は一泊二日、朝大阪を発って夕方に富士山吉田口五合目に到着、18:00より登山開始して頂上を目指し、4:48の日出を見てから下山、10:00吉田口五合目を出発し、22:00大阪着、という無駄のないご来光登山に特化したストイックなスケジュール。
天気にも恵まれ、大阪から丸半日かけてはるばる行った甲斐がありました。


7月31日、重いザックを担いで朝5時の電車に乗り込み、難波までうつらうつらと。こんな早朝でも意外と乗客はいて、やはり私と同じように登山に出かけると思しき人たちも多かったです。山に登る人の朝は早いのです。明るいうちに降りてこないといけないからね。ヘッドライトをつけて夜間に登る山なんて、富士山くらい人が多くて道が決まった山でないと無理です。山岳救助隊だって、夕方には捜索を打ち切ります。山のプロでも、夜の山は危険なのです。
難波で友人T(←いつも私の思いつきの餌食になる女)と合流し、コンビニで飲み物や朝食を調達してからバスの集合場所へ。
昨今の山ガールブームを受けて女子が多いのではと期待していましたが、あいにくオッサンばかり。大学時代のワンゲル部OBがそのまま歳を取りました的な、年季の入った山男たちです。女子多めの『軽やか☆華やか』な車内できゃっきゃとはしゃぐ若い子たからち発散されるマイナスイオンを浴びて半日過ごせると思っていたのに、出発前からがっかりです。
しかし、オッサンたちも童心に返るのかそれなりのはしゃぎぶりで、しょっぱそうな何かを発しながらも楽しそうでした。ただ、大阪のオヤジははしゃぐとうるせえ。おまけに、成人病ネタが多すぎる!循環器系の疾患を抱えて富士登山するつもりのオッサンとは、帰りのバスも無事にご一緒できるのでしょうか。
バスはいくつかのポイントで客をピックアップし、京都で最終の参加者を拾います。京都はさすが学生の街なだけあって、学生:オッサン=8:2くらいの乗客構成。もちろん女子グループも何組かいて、老若男女咲き乱れる感じのバスは一路山梨へ向かいます。


さて、その中で気になるグループが何組か。


グループA:三十代会社員女子三人組(たぶん婚活中)
グループB:二十代会社員男子三人組(たぶん年齢=彼女いない歴
グループC:学生三人組(男1女2)

バスは二列シートなため、三人組は一人あぶれます。グループAの姉御的存在一子さんとグループBの下っ端的存在三夫くんの一人ずつが隣り合わせとなり(それぞれが一人あぶれ席に座った経緯が想像できます)、のっけから一子さんが積極的に三夫くんに話しかけ、双方の所属グループを交えてお菓子を回しあったりなんとなく和やかな雰囲気に。「一人あぶれてつまらない思いをしてるワケじゃないのよ」という一子さんの大人の配慮です。ちなみに、グループAの二子さん三子さんは「一子さんが話しかけなかったらこんな男どもに興味はねー」という空気丸出しでした。
一方、グループCのア美ちゃんとイ美ちゃんは二人並んで楽しくおしゃべり、ウ介くんはそんな二人を見守りつつ知らないオッサンと隣り合わせで早々に寝てしまいました。
私はといえば、友人Tと二人でそんな微妙な人間模様に妄想がノンストップ!酔い止めに干し梅をしゃぶりながら「一番いやな展開」について熱弁をふるいます。が、「寝不足は高山病の元です。朝も早かったことだし、寝ましょう。」というガイドさんの指示により、カーテンを引いて車内も消灯し強制終了。持参のネックピローに夢と希望を吹き込んで、目を閉じました。


途中二時間毎くらいに高速道路のサービスエリアで昼食やトイレ休憩があり、そのたびにソフトクリームやら飛騨牛コロッケやら五平餅やらを買い込んでは車内で食べてまた眠ってという半日で、登山開始前からやや太った気が…。しかし、これから始まる過酷な登山でシビアにカロリーを消費していくから良いのだ!と炭水化物を遠慮なく摂取。お腹いっぱいになって眠れたし、高山では食欲がなくなって結局ほとんど何も食べられなかったし、これは結果的に正解だったように思います。

さて、夕方富士スバルラインに到着。樹海の中を抜けていく有料道路ですが、一気に標高が上がるうえカーブも多くて、乗り物酔いします。おまけに、ハイシーズンの土日とあって大渋滞。マイカーは途中で駐車してシャトルバスでパーク&ライド方式を採るらしいのですが、その駐車場に入るマイカーで渋滞します。駐車場付近を過ぎれば、バスは優先的に走行できるのであっという間ですが。
バスを降りる前に、ガイドさんからいくつかの注意事項が言い渡されます。

  1. 登山は「強力(ごうりき)さん」という富士登山専門のガイドが案内してくれるので、必ず指示に従ってください。また、決して先頭を歩く強力さんより先に行かないように。
  2. 登山道には山小屋が点在しているので、途中トイレ休憩を何度かします。その際に、使用料が必要となります。おおむね200円。小銭を多めに用意しておいてください。
  3. 富士山は登りは、落石防止のため山側通行。登山道の縁を歩くと石を落とす危険があるから、必ず山側を注意して歩いてください。
  4. 高山病予防のためにも、水分補給をこまめにしてください。また、少しでも具合の悪い人はすぐに申し出てください。


17:00頃、吉田口五合目に到着。バスから降りて、着替えと早めの夕食を所定の山小屋ですませ、広場に集合です。改めて山ガールや山男になったみんなが、やや緊張した面持ちで出発を待ちます。点呼を終えたガイドさんから「強力さん」が紹介されました。

「ごうりき」っていうから赤鬼みたいなゴッツイおやじかと思ったら、若い美女。アスリートみたいな雰囲気で、てきぱきした女性です。
「今日はこの夏一番の人出で、登山道は大混雑です。もしかしたらご来光に間に合わないどころか、頂上までたどり着けないかもしれません。そのくらい、シビアな条件になっています。従って、八合目の山小屋で仮眠を取る予定でしたが、それはなしにしてぶっ続けで登ります。頑張って山頂を目指しますが、それでも間に合うかどうかわかりません。天気には恵まれていますが、少しでも体調に不安がある人は、申し出てください。強行軍になるので、残念ですが具合が悪い方はその場で諦めて貰います。」
さくさくと厳しい話が出てきますが、バスが遅れると終電に間に合わず帰れなくなる人も出てくるので、時間が限られた中での登山になります。また、具合が悪いまま標高3000mという空気の薄い過酷な環境に晒されると、冗談でなく命に関わるのです。実際、私たちが五合目に到着するのと入れ違いで救急車が下山していきましたし、その日の早朝に八合目付近で亡くなった方もいたそうです。馴染みのある富士山は、その実そのくらい厳しい山なのです。
やや不安になりながら、出発となりました。

強力さんは、空気の薄い環境に私たちを慣らすため一歩ずつゆっくりゆっくり歩きます。ややガスが出てきており、景色はあまり見えません。高山らしい植生の中を足下の溶岩砂をじゃりじゃり踏んで進みます。まだ元気なうちに自分たちの姿を写真に納めようと、友人Tと末期(まつご)の写真撮影をしたり、こんなに近くにいるのにいっこうに姿を見せない富士山の山頂付近を見上げたりしながら、歩を進めます。ここからおよそ7時間半かけて、頂上を目指します。


ガスの中、低い植物が点在します。眼下を眺めれば、ガスの向こうにうっすら吉田の町が見えます。

ゆっくり進む隊列の中、みんなの持ち物をチェックしたり(ザックはオスプレー率高し)、グループAとグルーBの間に挟まってしまったため双方のやりとりに耳がダンボになったりして歩きます。グループBの二夫くんはどうやら韓国人のようで、韓国にはあまり高い山がないが登山は昔からメジャーな行楽で、年配の人たちは北朝鮮領になってしまった金剛山(クムガンサン)を今でも愛している、というようなことを話していて、日本一の山に来て朝鮮半島の生の情報に触れました。
外国人観光客も、洋の東西を問わず多く見かけました。特に、中国人や韓国人の観光客は団体バスでやってきて、途中までトレッキングして帰って行くようでした。欧米人は個人のグループで来ていました。アメリカ訛りのグループがびっくりするほど軽装だったりしたのでやはり途中で帰るのだと思いますが、そうとも言い切れないところがアングロサクソン系の恐ろしさ…高地に来て、ハイランダーの血が蘇ったりしてもおかしくないのではないかと思います。
さて、富士山は砂と岩の山です。森林限界ぎりぎりにようやく生えている木々も、土壌に踏みとどまれずに崩れている感じです。


木1「大地のこむら返りやー!」
木2「こっちもギリギリー!」
K「まぁほどほどにな…」

無理して垂直に伸びず、いっそ横になってしまえば楽だろうにと思います。


さて、強力さんの指示により二列の隊列を組んで歩いていきます。ここでもバスの車内同様グループAの一子さんとグループBの三夫くんは仲良く並んで歩き、年下の男の子にも上手に甘える一子さんのトレッキングポールを伸ばすため三夫くんが手を貸したりと、なんだか職場のグループワークを見ているようです。空は徐々に暮れなずみ、特に吉田口の登山道は東側斜面のため日没が早く(そのかわりどこからでも日の出が見える)、三十分ほどで六合目に着いたときにはヘッドライトを用意するよう指示されました。
六合目の救護所でトイレ休憩です。この後上に登るにつれ山小屋が増えますが、トイレは掃除も行き届いて屎尿は焼却処理しているためどこもきれいで、その代わり焼却炉の排気口では強烈な匂いがします。しかし、高所のためこういう公衆トイレで虫がいないのはありがたいです。
登山客がぽつぽつヘッドライトをともしはじめ、夏の富士山名物の光の筋が出来はじめます。日が落ちると同時に気温もぐっと下がりますが、登っている熱気で寒さは感じません。むしろ、人が固まって動くためむんむんと暑いくらいです。しかし、空気の薄さを呼吸や鼓動の戻りの遅さで実感するようになります。さらに、小一時間で七合目の山小屋で休憩したときには、空気の薄さを目でも実感。

私が持ってきたナッツの袋もぱんぱんで、空けたら中身が飛び散るのではないかと冷や冷やしましたが、別にそんなことはありませんでした。また、脳に酸素が供給される量が激減するためか生あくびばかり出ますが、これも大事な高山病予防と意識的に深呼吸やあくびをするように心がけます。しかし、酸素の薄い場所であくびをしても、あのスッキリ感は得られないと言うことを知りました。なんだか不完全燃焼なあくびばかりを繰り返してしまいます。
七合目は山小屋の連なる長い道で、明かりもあるので賑やかです。団体客も多く、これからご来光登山に向けて仮眠を取るグループなどでごった返します。そして、そろそろ高山病の症状が出てくる人たちも…。道端に死屍累々と人が転がっており、休憩なのかダウンなのか判別が着きません。私はといえば、道すがら呼吸法をあれこれ試行錯誤していくうちに、体力の消耗を極力抑える呼吸法を身につけました。密教の瞑想法「数息観」をヒントにした、鼻から息を吸い薄く開けた口からゆっくりと吐くという方法です。疲れると口で息をしていまいがちですが、そうすると大きく息を吸ってしまうため心拍数が上がり、冷たい外気を大量に取り込むため体温も奪われます。この数息観の呼吸法なら心拍数の上昇を抑え、従って体力の消耗を抑えて行動できます。ヨガやその他多くの瞑想法でもこのような呼吸法を取り入れているそうなので、おそらく理にかなったものなのでしょう。特別な宗教体験には、冬眠時に近いくらい心拍数を落とした状態が不可欠なようなので。仏教学で大学院を修了して以来一度も役に立ったことのない知識でしたが、何でも勉強しておくものですな!


同行する人々の中にも高山病に見舞われはじめる人が出てきました。グループCのア美ちゃんです。
高山病の症状は、主に激しい頭痛・目眩・吐き気等です。ア美ちゃんはひどい頭痛と吐き気に襲われたようで、ガイドさんに渡されたビニール袋を口に当てて吐こうにも吐けない様子で苦しそうでした。そのままガイドさんの判断で途中の山小屋に泊まることにしたようで、以後グループCはイ美ちゃんとウ介くんの二人に。しかし、淡々とした様子の二人はア美ちゃんを気遣いながらも、ウ介くんはア美ちゃんの彼氏でもないようで心配だから付き合ってリタイアする!とかいうわけでもなく、サクサクと進みます。一体、この三人の関係はどういうものなのでしょう。
砂利道が続いたと思ったら岩場をよじ登る道が長く続いたりと結構ハードな思いをしながら、八合目に到着です。本来仮眠するはずだった山小屋でちょっと長めの休憩を取ります。ここで、強力さんに宣告されます。
「仮眠は取りません。ここからは、数回の休憩を挟んで一気に登ります。九合目からは特に岩場の多いハードな道で、また山小屋もありません。ご来光にはどうやらギリギリ間に合いそうですが、頂上は5℃前後です。今少しでも体調に不安がある人、眠い人、頭が痛い人は、ここでリタイアしてこの山小屋に泊まってください。」
ここで、山男組のおじさんら数名がリタイアを決めたようです。私はといえば、少々疲労しているとはいえ呼吸方法の改善により消耗も抑えられ、また今回初めて導入したサポートタイツが素晴らしい威力を発揮し長い登り道であるにも関わらず足が軽い状態が持続しているので、比較的元気です。なにより、徐々に混雑してきた登山道の所謂「ご来光渋滞」のお祭りのような騒ぎや、ガスの晴れた下界の夜景が楽しくなり始め、テンションが上がってきたところです。しかし、タフなはずの友人Tがここで微妙な顔をし始めました。
T「あたし、ここでストップした方がええかな…」
なぬー!
しかし、彼女は実は先月の高野山町石道で膝を痛めており、その後整体に通うなどしてコンディションを調整しての参加だったのです。サポートタイツやテーピングなど対策はしているものの、この長時間登山ではどうなるかわからない爆弾を抱えているような状態でした。
K「ひ、膝がそんなに痛いの?」
T「いや、膝は平気。」
なんやねん!
K「頭が痛いとか?」
T「いや、まだ大丈夫。」
K「…じゃぁなに。」
T「呼吸の戻りが遅くて、苦しいのがなかなか治らなくて…」
K「なんと!それならば良い方法がありますよ!」
待ってましたとばかりに自分で体得した呼吸方法を教え、試してみるように進めました。その効果を説明し、「じゃぁやってみる…」とTも試してみる気になって無事登山再開です。本来なら自分の体調に不安を持った人間を無理に薦めるべきではなかったのでしょうが、高山病特有の症状が出ているわけではないこと、自分も同様の状態を呼吸の仕方を変えて回避できたこともあり、またあと一時間ちょっとで頂上に着けることから、励まして一緒に登ることにしました(あと、彼女普段が健康だから、ちょっとした不調に不安になりやすいと言うこともあったので)。


ここからは、本格的なご来光渋滞です。強力さんが言ったとおり岩場が多く、足場に手間取る人たちで前に進まないような渋滞になります。しかし、山小屋がなくなる代わりに警備員さん(?)が赤灯棒を振って交通整理をしていたり、他のツアーの若者たちのかけ声や強力さんたちの励ます声によって、みんなようやくといった感じで歩みを進めています。どこかの団体の若い強力さんが「空を見てください」という声に上を見ると、明るい月の光と、うっすら白い天の川。時々、流星が飛んでいきます。眼下には、同様に登ってくる人たちのヘッドライトの列が川のように続いています。そして、横を見ると月光に照らされた富士山の稜線。その見覚えのある滑らかで急な傾斜のシルエットに、自分はようやく「あの富士山」に登っているのだと実感しはじめました。

警備員さんと強力さんが口々に「今日は暖かいですねぇ」と言葉を交わすのを「いま8℃なんだけど…」と思いながら横目で眺め、頂上に見える光とダイナモの音を目指して登り続けます。不思議と疲れは感じません。これがクライマーズ・ハイというやつでしょうか。
やがて、鳥居が見え始めました。


こんな高いところに立派な石の狛犬もいます。これをくぐると、山頂です。万歳と両手を挙げ、次々と鳥居の下をくぐっていきます。


午前3:00頃。ようやく、吉田口の山頂にたどり着きました。

ここで、4:48の日出を待ちます。
山頂はさすがに寒く、しかも座る場所もないくらいの人出です。登ってくるまでは汗をかくので、長袖と半袖のTシャツ重ね着の上にフリースジャケットを着ただけでしたが、泊まると急激に身体が冷えます。ガタガタと震えながら、レインジャケットを取り出して羽織りますが、震えは収まりません。やはり、ダウンベストを用意すべきだったかと少々後悔しましたが、しかし登り切るまで全く必要のないものでもありました。富士山の防寒具は要するに、悪天候でない限りこの時間のために必要だったのです。
震えながら山頂の自動販売機で温かいお茶を買い(500円)、少しずつ飲んで身体を温めているうちに、どっと身体が重くなってきました。そうはいっても3700m以上の高地です。何もせずに座っているだけで息苦しさを実感するくらいで、いるだけで疲労が蓄積されます。疲れと寝不足から、道端に腰掛けてうつらうつらとしていました。そうして15分ほど目を閉じていると、やがて空が白みはじめました。夜明けが近づいているのです。

真っ暗だった世界にうっすらと光がにじみはじめると、眼下には雲海が広がっています。その上に、太陽が出てくるのです。
ご来光を見るために、重い身体を引きずって移動しました。頂上の塀の縁には、大きな一眼レフと脚立でスタンバイしている人たちがずらりと並んでいます。こんな快晴なら素晴らしい写真が撮れるでしょう。



東側には、人が鈴なりです。みんな、息をのむようにしてその瞬間を待ちます。

やがて、大きな鳥が朱い羽を広げるようにして、空と雲の間に暁が広がります。

雲海の上に、ぷっくりと太陽が生まれたように見えました。日の出の瞬間です。
人々のどよめきが上がり、何度か挫折してようやくの登頂だというおじさんは涙を流していました。これは、そういうとくべつな夜明けなのです。
何時間も闇の中を歩いてきた身に、光に触れる安堵や暖かさが染み込むようです。あんなに寒くて震えていた身体は静まり、みんなただゆっくりと登っていく朝日を眺めていました。


あたりがすっかり明るくなり、人々はまたあわただしく動き出します。今度は、下山に向けての準備です。私とTも、山頂神社にお参りしたり山小屋で登頂記念にと山バッジを買ったりして、火口付近の集合場所に向かいました。

下山の装備は、登山のそれとは異なります。下るにつれ気温が上がるので、レインジャケットとフリースジャケットを脱いで、薄着になります。また、下りは靴の中で足が滑るので、靴紐を先端から強く結びなおします。下山の道は砂利ばかりとなるため、足下のカバー(ゲイター)を装着し、自分の足より下に突くことになるストックを長めに調整します。食欲はなかったのですが、せめてエネルギーを摂取しないとほとんど手をつけていなかった行動食の中から手軽に食べられるシリアルバーを取り出して(これもパンパンに膨らんでいてびびった)囓り、下山に備えました。
下山口から強力さんについてゆっくり下ります。砂利で滑るので、登り以上に神経を使います。また、滑らないように足を踏ん張るので、普段使わない脚の後ろ側が張ってきます。登りで疲れた疲労の取り切れないままジグザグの道を半歩ずつ慎重に踏みしめて下っていかなければいけない、おそらく登りより過酷な道です。
ふと西の斜面に目をやると、八合目や九合目の途中でご来光を見てから登頂する人たちの長い列が見えました。色とりどりのザックを背負って、ハキリアリの行列のようです。そのなかで、異様な一団が目につきました。全身ダークグリーンの…自衛隊員です。

ひー!あの列には混ざりたくないものよ…!と戦きながら、徐々に高度を下げます。しかし、代わり映えしない砂礫だらけの景色の中で、ただひたすらに滑らないよう足下に気をつけて延々と下らなければいけないあの状況は、「ああ、地獄ってこんなカンジ…?」と白昼夢の中で臨死体験しそうになりました。ハヤブサが撮影した小惑星イトカワの地表の方がなんぼか感じが良いです。高山病やら疲労やらであちこちに人が転がっていて、ガスなんか出てきた日にはほんと地獄絵図です。積まれた石の向こうに脱衣婆が手招きしている姿が見えそうです。また、後から喉の痛みで気づいたのですが、目に見えない砂埃を結構吸い込んでしまうので、マスクなど口を覆うものが必要です。私も持参してはいたのですが、自覚するほどの砂埃ではなかったので使わなかったことを後悔しています。
雲海の中に入ったりしながら三時間も下ると、ようやく植物も見えてきて、呼吸も楽になってきます。

しかし、友人Tの膝が本格的に痛み出したらしく、ゆっくりゆっくりとかばいながら歩きます。しかも、集合時間は五合目の出発地点と同じ場所に9:30。無理なスケジュールではないですが、あまりのんびりもできないカンジです。10:00の出発に間に合わなければ、容赦なく置いて行かれます。やや焦りながら、所々で表示されている標準コースタイムと自分たちのスピードを比べて到着時間を計ります。ギリギリです。
六合目まで下ってくると、平らな道が増えてきました。下りの道は滑るのでスピードが出せませんが、そうでないならこちらのものです。「登りの方がマシ」という経験を初めてしました。
自分とTをなだめすかしながらなんとか全員集合時間に間に合い、無事バスに乗り込みました。この後は、温泉によって二日の汗と埃を洗い流し、帰路に就くだけです。


バスで一時間ほどの温泉施設では、食事処で昼食も取ります。Tと共に山梨ならではのブドウポリフェノールのボディソープに驚いたりしながらさっさと身体を洗って、温泉にゆっくりつかりました。ハーブの湯や富士の伏流水の冷水に悲鳴を上げたりしながら一時間。登山ウェアから楽なワンピースに着替え、重い登山靴もサンダルに履き替え、食事処へ。
隣のテーブルではすっかりまとまってしまっているグループAとグループBが楽しそうに乾杯していました。その様子を若干羨ましそうに見ていた同じテーブルの男子大学生二人組が、こちらをやや意識するようなカンジで席を勧めてくれたのですが、「君達にはわからないかもしれないが、オッチャンたちは君らの1.5倍以上歳を重ねているんだよ…」と心の中でつぶやき、そんな自分になぜか居たたまれなくて目を伏せたまま、しかし食事だけはガッツリとあっという間に片付け、席を立って休憩コーナーに向かったのでした。社交的で感じのイイ山ガールを目指したはずが、これでは本当に山ガールになり損ねた熟女の妖怪「ヤマージョ」です。山ガールになりきるには心理的な負い目が多すぎて、精神的に惨敗でした。
なお、グループCのア美ちゃんは、下山したらすっかり元気になったのか、イ美ちゃんと楽しそうにおしゃべりしていました。相変わらずウ介くんは淡々としており、結局だれがどっちにどうなっているのかはわからずじまいでした。が、山頂で聞いた「登山病って怖いなぁ。ア美ちゃん見てて引いたわぁ。」というはんなりとしたイ美ちゃんの京都弁に引いたのは私だけなのかウ介くんもなのか。


その後、バスは途中渋滞に巻き込まれたりしつつ結局予定より一時間ほど遅れて進み、何人かは終電に間に合わずホテルに泊まったり奥さんに迎えに来て貰ったりした模様。私も、ギリギリ走って間に合ったカンジです。
しかし、疲れたー!家に帰ってシャワーを浴びたら、寝付きの悪い私でもさすがにあっという間に眠ってしまいました。


翌日は月曜日で朝から出勤ですが、富士山に登った翌日にきちんと出勤できる自分に酔いながら、同僚に登頂自慢しつつの一日でした。関西はいまいち富士山への思い入れが薄いためか、女性は反応薄かったけど、お父さんたちは「いつか子供を連れて行きたい!」と思っている人が多いようで、食いつきが良かったです。


しかし、帰りのバスでは「富士山はもうイイよ…」とか、「今度は南アルプスとか風光明媚な山でメルヘンチックな山登りしようよ」とか言っていたのですが、一週間たって慰労会と称してTと顔を合わせてみると「やっぱりあれはいらなかったよね」とか「こっちのコースだったら…」とか次回の話をしています。あんなに辛かったのに、そのつらさはすっかり忘れてもう一回とか思ってしまうのは、出産の痛みを忘れて何度も子供を産んでしまえる女性特有の忘却術なのでしょうか。

ツアーはバスに乗ったら勝手に目的地まで連れて行って貰えて、ガイドもついて安全に登山できる反面、やはり時間に無駄なく行動せざるを得ないため追い立てられる感じがありました。いつもの海外旅行と一緒で、一度目はツアーで。二度目は自力で。次回は、レンタカーを借りて信州なんかも廻りながら、自分たちのペースで登ってみたいと思います。


しかし、やはり富士山は一生に一度は登っておきたい山ですよ!


今回大いに役立ったのが、はじめて使ってみたサポートタイツ。長時間の登山だったので、終盤脚が上がらなくなるのでは、と危惧していたのですが、このタイツのおかげで疲労度合いが全然違う!さほど疲れも感じることなく、足が軽いまま快適に登りました。低山ハイキングくらいならなくてもいいかなーと思いますが、行程がハードであればあるほど威力を発揮します。