真夏の残雪

お盆を含んだ夏休みの一週間、恋人は丸っと仕事で遊んでくれず、グダグダ過ごしながらひとりで大阪を散歩したりジムで泳いだり、そしてちょっとだけ実家に帰ったりして、ついでに立山に登ってきました。
帰省に当たっては、本当は11日から帰るつもりだったのに「忙しいからその日は帰ってくんな」と言われ、なぬー!だったらせっかくなので能登半島の温泉民宿で一人旅気分を味わってやらぁ!と石川県に一泊し、期待通りの温泉と期待以上の海鮮料理をメインとした素朴な郷土料理と気さくな女将さんとオヤジさんにすっかり機嫌を良くして実家に帰り、結果的には多くの人にとって幸福な選択であったように思います。
しかし、ちょうどその頃、日本海側は台風がぐるぐると低気圧と連れだって北上中で、私と共に北陸入り。翌日13日に予定していた立山登山はどうだろうと心配しつつ、好日山荘で母の登山靴やザックを選んでおりました。ちなみに、父は地元っ子なので立山は遠足で登山済み、その後も数回登った経験があるとかで余裕なそぶりを見せておりました。


さて、立山という山ですが、富士山・白山と並ぶ日本三霊山の一つ。主峰の雄山で標高3,003mで、富士山で言うと八合目のちょい下くらいに相当します。ちなみに、西日本ではこんなに高い場所はありません。
普通に登山装備で臨みますが、標高約2,500mの室堂までは公共の交通機関でアプローチできるため、実際に行ってみるとずいぶん軽装の人々も多く、実際に自力で登る標高差は500mあまりのわりと親しみやすい山のようです。うちの父も、チノパンにスニーカーという出で立ちでした。
立山へは通常、富山駅から室堂までローカル線・ケーブルカー・バスを乗り継いでおよそ二時間ですが、初夏から秋までのシーズン中は、富山駅から室堂までの直通バスが夏休み期間は毎日、それ以外の期間は土日運行しています。所要時間は同じですが、途中二回ほどトイレ休憩を挟みながら寝ていれば連れて行ってくれるので楽ちんです。今回はこちらを利用しました。
一般車両は立山には登れません。途中からバス専用道に入って、いくつものカーブを曲がりながら一気に標高を上げてバスは進みます。途中、落差日本一の称名滝や奇怪な姿を見せる立山杉の原生林を通り過ぎ、車窓から見える景色を楽しみながらの二時間。室堂ターミナルに着くと、夏とは思えないひんやりした外気に、一瞬身震いします。気温は15℃程度。あちこちに雪が残って雪渓になっているのが見えます。
実は、富士山以外で高山に登るのが初めてで、今回は高山植物雷鳥を見つけることも楽しみの一つにしていました。
バスを降りてターミナルを抜けると、すぐ足下に見慣れない植物が生えていてテンションが上がります。

一気に登ってきたので、腹ごしらえを兼ねて軽いランチに。母のおにぎりや梨が異様に美味い!外で食べると何でも美味しく感じるから不思議です。空気が美味しいからでしょうか。
石碑の前で代わる代わる記念撮影をして(こういうのは父がマメにやる)、頂上まで片道およそ二時間の登山開始です。

前方に広がる立山三山の大パノラマ。ここから見ると標高差500mくらいの山々が、目の前に立ちはだかっているのです。目を皿のようにして雷鳥を捜しつつ、お花畑のように高山植物の咲き乱れるトレッキングルートを歩きます。

自分のペースでどんどん先に進んでしまう父、好奇心の赴くままに寄り道する母、そしてしんがりとしてなんとかパーティの体を成そうとする私、と言ういつもの構成です。さらに弟が加わると、その行動の不条理さに私がキレます。これが私の家族です。
立山は古くから信仰の山で、「地獄谷」「弥陀ヶ原」「虚空蔵窟」等あちこちに仏教的な言い伝えのある地名が数多く残ります。また、山そのものがご神体で、山頂の奥宮にお参りする参拝登山で昔から知られていました。道中にもいくつかの祠があります。

参拝客の道中を見守ってきたのでしょう。


雪渓でやや滑ってしまったり、景色を楽しみつつ整備されたなだらかな道を散策気分で歩いていると、突然道が急になります。立山三山のメイン、雄山へ脚がかかります。そこから一気に一の越と呼ばれる標高2,700m地帯まで登ります。
さて、一般的に高山病は2,500m〜2,700m地帯で発症すると言われており、症状は人によって様々ですがおおむね頭痛や吐き気や倦怠感に襲われるそうです。高山の酸素不足が原因なので、下山すれば程なくして治りますが、酷い場合は死に至ることもあるため侮れません。
案の定、母がやや心配な感じになってきました。元々体育会系で運動が得意な人ですが、乗り物酔いしやすく環境の変化になかなか順応できないタイプです。昔家族で富士登山した際には、彼女一人が八合目でダウンしています。今回も「動悸がする」というので、無理させないようゆっくりゆっくりと進みます。本人のペースに任せてちょっと登っては休みを繰り返ていると、ネコの散歩に付き合っているようです。私はその後ろに付き添いながら、せっかくなので珍しい写真を撮りまくります。ちなみに、父はなかなか追いついてこないこちらを心配して戻ってくるものの、すぐに自分の興味のままに先に進んではまた戻るという事を繰り返して、結構うろうろと歩いていたのではないでしょうか。あの人はイヌタイプです。
ようやく一の越に辿り着くと、その向こうには後立とよばれる立山連峰の後に連なる北アルプスの峰々が広がります。

キューピーの頭のような頂が特徴的な槍ヶ岳や、富士山のように左右対称の笠岳など、個性的な山容が見渡せて感動します。いつかあの山にも登ってやります。岩の隙間に咲く花なんかに見とれたりトイレに行ったりして(一応水洗/有料)少し休憩し、後半戦に挑みます。


ここからは、岩の隙間を縫うようにして約300mを登ります。

上り下りの人が入り乱れるため、コース取りが難しかったりしますが、小学生でも平気で登っていきます。むしろ、子供の方が身軽なので有利かもしれません。しかし、岩に気を取られて忘れがちですが、高所のためすぐ息が切れ、大きな岩を一つクリアしては休む、ということを繰り返して登らなければならず意外と時間がかかります。頂上の雄山神社は見えているのですが、なかなか辿り着けません。

下を見ると、出発地点だった室堂は遙か下の方に小さく見えるのみ。さすがに達成感がありますが、全身を使って岩をよじ登るなかなかハードな登山です。
母がいよいよ高山病で動けなくなり、父に「一人で登ってきなよ。」と言われました。母に付き添ってゆっくり登り、帰りのバスの時間があるので彼女の体調次第では登頂せず下山をはじめるというのです。せっかくなのでお言葉に甘え、先に行くことにしました。
時々後ろを振り返ると、赤い帽子をかぶった夫婦二人がこちらに気づいて手を振ります。そんなことを繰り返し、徐々に距離が広がって二人が見えなくなる頃、一の越から小一時間ほどで登頂しました。

山頂には、雄山をご神体とした雄山神社社務所と山小屋を兼ねた建物、その先に雄山神社の社があります。崖っぷちの上にある社殿では、参拝料500円を払って神職のお祓いを受けることができます。

狭い社殿前にかじりつくような、なかなかスリリングな参拝です。
頂上はさすがに寒く、上からジャケットを着込んで両親を待ちますが、なかなか登ってきません。風を避けて社務所兼山小屋で山バッジを見たりお汁粉を注文して外を眺めながらすすって暖まったりしながら、二十分ほどでようやく二人の姿が見えてきました。母も高山病の吐き気と頭痛と闘いながら、頑張って登ってきたようです。
K 「おつかれさまー!」
母「…降りよう。」
K 「え?」
母「もう降りよう。」
父「あははは。まぁとりあえず写真撮ろうよ。」
しかし母は一刻も早く下山したかった模様で、に促されるまま虚ろな顔で写真に収まり、さっさと撤収です。


下りは母が脅威の脚力を見せ、父と私にも追いつけないスピードでサクサク下山します。よほど高地が辛かったようです。登りの三分の一ほどの時間で一の越に到着し、そこから先も脇目もふらずに降りていきます。やはり、本来体力はある人なのです。
コースタイムの半分の時間で室堂に到着し、母はそこで力尽きてベンチに転がりました。父はその横で介抱しつつ、私にあたりを散策してきてはと勧めてくれました。室堂周辺には立山三山をバックにしたいくつもの池や高山植物の野原が広がり、散策道が整備されています。15分ほどのコースをぐるりと廻り、やはり雷鳥は声は聞けども目撃できず、ターミナルに戻りました。


来たときと同じようにバスに乗り込み、およそ二時間をほとんど眠って過ごし、富山駅に着く頃には母もすっかり元気になっており、「食べたの全部吐いちゃったし。」と手をつけていなかったおやつをむさぼっていました。のど元過ぎればと言いますか、とにかく食欲が戻って良かったです。


しかし、家族で登山なんて小学生の時以来だったので、楽しかったです。母もせっかく登山靴やザックを買ったので、山を趣味にしているお友達に連れて行って貰おうなど意欲的です。秋くらいにまた蓼科あたりにみんなで集まって、私と母は登山、父はゴルフを楽しむのも良いかもしれません。
なにより、登山を始めてみると北陸の実家はなかなか魅力的なロケーションだと言うことを再発見しました。白山も近いし、北アルプス中央アルプスにも抜けられます。信州の風光明媚な山々も近く、いままでネコヤマだけがかすがいだったような帰省へのモチベーションが一気に上がりました。


父には引退後、信州に大手不動産会社のリゾート会員権を購入しようかというプランがあるようですが、ぜひともその辺を踏まえてご検討いただきたく!と強く進言し、大阪に戻りました。
なかなか良い夏休みでした。