六根不清浄


八月最後の土曜日、いつも私の思いつきの餌食になる友人Tと共に大台ヶ原に登り、勢い余って翌日は大峰山麓の洞川に行って奈良県南部を満喫して参りました。


七月に初めて一人で登って以来、実は三回目になる大台ヶ原。うちから車で二時間弱だし、山奥の割には道もきれいで走りやすいし、なんと言っても標高が高くて涼しいのです。下界が37℃の猛暑日を記録していても、20℃以下の過ごしやすい気温で、駐車場に着いた時には思わず「涼しー!」と叫んでしまいました。しかし、Tの日頃の行いが良くないのか徐々に雲行きが怪しくなり、一気にガスに覆われて小雨が降る始末。

T「・・・レインウェアデビュー?」
K「ポジティブにもほどがあるだろう!」

そうはいっても、まずは食堂で腹ごしらえと昼食に山菜そばと柿の葉寿司なんぞを食べていると、徐々にガスは晴れうっすら青空がのぞくように。実はワタクシ、希代の晴れ女と呼ばれております。駅直結の職場でオフィスワークに従事していることもあり、一年の内でも傘を差すのはおそらく30分に満たないかと。行楽先で雨に降られたことはほとんどなく、登山の際も頂上にかかっていた雲は私の登頂に合わせて晴れるようになっております。

K「晴れてきたよ。」
T「・・・ありがとう、K。」
K「いやそれほどでも。」

さて、今回は初めてコースのハイライトである断崖の大岩、大蛇恕Pの先端まで行きました。

今までは足が竦んで途中までしか降りられなかったのですが、岩の端の鎖まで行って下を覗き込むなどの偉業を成し遂げました!ところが傍らでTは余裕綽々の様子。崖っぷちが似合う女だな!
しかし、先客だったカメラクルーを同行した年配登山ツアー客たちが、口々に「あ、山ガールだ。」と言われ居たたまれず思わずうつむく我々。確かにこの格好はいま流行りの山ガールファッション!だってウェアがいろいろ可愛かったんだもん!しかし、自称”山オッサン”の私たちには、”ガール”と呼ばれるには負い目が多すぎました。

T「山ガールってきっとKのことを言ったんだよ。ほら、山スカートはいてるし。」
K「なぬ!オレに責任転嫁か!」

醜く言い争い、かと思えば道中も金と性について耳を覆いたくなるような話を下世話に語るなど、一皮剥けばとてもガールとは言い難い生態を晒す私たち。下山後は温泉に立ち寄りゆっくりと汗を流し、さらに近くの居酒屋で素朴な田舎料理に舌鼓を打つなど、やはり行動原理は中高年男性のそれと酷似しておりました。


しかし、勢いづいて翌日は奥吉野方面に行くことに。Tが天河弁財天やら大峰山には行ったことがないというので、せっかくだからと山奥の寺社仏閣巡り&温泉という年寄りじみた行程になりました。
いままでしばしば恋人と二人で温泉に訪れていた、大峰山の麓である洞川というこのエリア、改めてゆっくりみるとキャンプ場があったり修験者と温泉で栄えた古い旅館が並んでいたり、奈良で有名な「ごろごろ水」という名水で作られた豆腐や川魚が楽しめるなど、一日では足りないくらいコンテンツが盛りだくさんです。
特に、メディアに出すことが禁じられているためあまり知られていませんが、というか私もよく知りませんでしたが、修験道の根本道場があり全国各地から多くの老若男女の行者で賑わうなど、これまで入り口の温泉に入ってそのまま帰っていましたが、奥に行けば行くほど修験修験した街でした。
石灰質の岩盤で形成されているというこの土地には鍾乳洞もいくつかあり、また街の真ん中を清流が様々な表情で流れていきます。

もちろん、役行者大峰山に修行に入った際、女人禁制のため山の入り口で無事を祈ったという母公のお堂など修験道に関わる史跡や寺社も多く見られます。そして、有名な大峰山の女人結界。入り口までは女性でも行けますが、結界の先に進むことはできません。背伸びするように鬱蒼とした林の向こうを覗くと、続々と山頂から修行を終えてきた行者たちが降りてきます。見上げれば、遙か高く見える断崖が、あの「西の覗き」のあたりのようです。登るのも大変なら、そこから吊されるのも大変・・・というかたまったもんじゃない!絶対ちびる!
しかし、小学生くらいの男の子なんかもちらほらいて、お父さんやおじいちゃんに連れられてきたようですが、下山してきた顔は幼いながらもどこか誇らしげな様子で、あの崖の上でちょっと強くなったんだろうなーと想像ました。一体どんな目に遭ったの・・・。


しかしこの洞川という街、なんかとにかく老いも若きもみんな親切!ぷらぷら歩いていたりお茶屋でご飯を食べたりしていると、あちらから声をかけてくれて、名物の茶がゆの作り方やこの辺の独特の食生活など、あれこれ教えてくれるのです。

「せっかくこんな山奥まで来てくれたんだから、楽しんでってや。」と堂守りのおばあちゃんにお茶とお菓子をごちそうになりましたが、この土地のことを小さな事でも良いから知って楽しんで欲しいというホスピタリティがあちこちに溢れていました。この街の人たちが、この街のことをとても好きなんでしょう。私たちも、よその土地なら覗くだけで終わってしまうであろう場所でも、声をかけて貰って話を聞いて興味を持って、では体験してみよう、そして面白かった、という経験をいくつかしました。あちらから一歩近づいてくれて、でも押しつけがましくない距離感で接してくれるという、なかなか学ぶところの多い街でもありました。古くから信仰の街として栄え、数多くの修験行者を迎え癒やしてきた土地の血脈みたいなものがあるのかもしれません。
しかも、大峰山系は魅力的な山がいっぱい!「西の覗き」を含む山上が岳と呼ばれるエリアは女人禁制なので入れませんが、他にも標高1,700m級の個性的な峰々が我らを待っています。また、登山後は温泉と山の幸川の幸が楽しめるというパラダイス。もっとゆっくり楽しみたいので、早速来月には一泊で登山に訪れたいと思います。


またひとつ、お気に入りの土地ができました。
こういう場所がいくつかあると、ぐっと生きやすくなります。

晩夏の傷痕

KyrieEleison2010-08-27

ぐずぐずと引いている夏風邪が治らず、熱を出して午前休を取って出勤することにした。まだ熱っぽいけど、忙しいのでそうも言ってられない。


朝まだ陽が昇って間もない時間と、正午の照り付ける太陽の下とでは、世界の様相が全然違うな。
濃い緑の山々に巨大な影を落とす積乱雲とか、ひしめき合うような草や花や木々の生命力に圧倒される。稲田には重そうな穂が揺れて、それらの生々しいくらいの存在感に、「生き物」なんだなあと思う。
『一粒の麦、もし地に落ちなば』という聖書の言葉があるけれど、一粒ね麦でも米でも種でも、もし地に落ちて芽が出て実を結んだら恐ろしい数になる。そういう、爆発するようなエネルギーを秘めているのだ、あれらの植物たちは。
…なんてぼんやり考える。
そりゃ仏性も持つだろうよ山川草木も。その方が、人間も謙虚になれるってもんだ。


プレウ゛ェールの詩にこんな一節がある。
「天にまします我らが父よ、どうかそこに留まり給え。
 けれど僕はここに留まろう。
 時にはかくも美しきこの世に。」


神の被造物であり、世の理りであり因果律であり、仏の真理を顕す、この世に。

真夏の残雪

お盆を含んだ夏休みの一週間、恋人は丸っと仕事で遊んでくれず、グダグダ過ごしながらひとりで大阪を散歩したりジムで泳いだり、そしてちょっとだけ実家に帰ったりして、ついでに立山に登ってきました。
帰省に当たっては、本当は11日から帰るつもりだったのに「忙しいからその日は帰ってくんな」と言われ、なぬー!だったらせっかくなので能登半島の温泉民宿で一人旅気分を味わってやらぁ!と石川県に一泊し、期待通りの温泉と期待以上の海鮮料理をメインとした素朴な郷土料理と気さくな女将さんとオヤジさんにすっかり機嫌を良くして実家に帰り、結果的には多くの人にとって幸福な選択であったように思います。
しかし、ちょうどその頃、日本海側は台風がぐるぐると低気圧と連れだって北上中で、私と共に北陸入り。翌日13日に予定していた立山登山はどうだろうと心配しつつ、好日山荘で母の登山靴やザックを選んでおりました。ちなみに、父は地元っ子なので立山は遠足で登山済み、その後も数回登った経験があるとかで余裕なそぶりを見せておりました。


さて、立山という山ですが、富士山・白山と並ぶ日本三霊山の一つ。主峰の雄山で標高3,003mで、富士山で言うと八合目のちょい下くらいに相当します。ちなみに、西日本ではこんなに高い場所はありません。
普通に登山装備で臨みますが、標高約2,500mの室堂までは公共の交通機関でアプローチできるため、実際に行ってみるとずいぶん軽装の人々も多く、実際に自力で登る標高差は500mあまりのわりと親しみやすい山のようです。うちの父も、チノパンにスニーカーという出で立ちでした。
立山へは通常、富山駅から室堂までローカル線・ケーブルカー・バスを乗り継いでおよそ二時間ですが、初夏から秋までのシーズン中は、富山駅から室堂までの直通バスが夏休み期間は毎日、それ以外の期間は土日運行しています。所要時間は同じですが、途中二回ほどトイレ休憩を挟みながら寝ていれば連れて行ってくれるので楽ちんです。今回はこちらを利用しました。
一般車両は立山には登れません。途中からバス専用道に入って、いくつものカーブを曲がりながら一気に標高を上げてバスは進みます。途中、落差日本一の称名滝や奇怪な姿を見せる立山杉の原生林を通り過ぎ、車窓から見える景色を楽しみながらの二時間。室堂ターミナルに着くと、夏とは思えないひんやりした外気に、一瞬身震いします。気温は15℃程度。あちこちに雪が残って雪渓になっているのが見えます。
実は、富士山以外で高山に登るのが初めてで、今回は高山植物雷鳥を見つけることも楽しみの一つにしていました。
バスを降りてターミナルを抜けると、すぐ足下に見慣れない植物が生えていてテンションが上がります。

一気に登ってきたので、腹ごしらえを兼ねて軽いランチに。母のおにぎりや梨が異様に美味い!外で食べると何でも美味しく感じるから不思議です。空気が美味しいからでしょうか。
石碑の前で代わる代わる記念撮影をして(こういうのは父がマメにやる)、頂上まで片道およそ二時間の登山開始です。

前方に広がる立山三山の大パノラマ。ここから見ると標高差500mくらいの山々が、目の前に立ちはだかっているのです。目を皿のようにして雷鳥を捜しつつ、お花畑のように高山植物の咲き乱れるトレッキングルートを歩きます。

自分のペースでどんどん先に進んでしまう父、好奇心の赴くままに寄り道する母、そしてしんがりとしてなんとかパーティの体を成そうとする私、と言ういつもの構成です。さらに弟が加わると、その行動の不条理さに私がキレます。これが私の家族です。
立山は古くから信仰の山で、「地獄谷」「弥陀ヶ原」「虚空蔵窟」等あちこちに仏教的な言い伝えのある地名が数多く残ります。また、山そのものがご神体で、山頂の奥宮にお参りする参拝登山で昔から知られていました。道中にもいくつかの祠があります。

参拝客の道中を見守ってきたのでしょう。


雪渓でやや滑ってしまったり、景色を楽しみつつ整備されたなだらかな道を散策気分で歩いていると、突然道が急になります。立山三山のメイン、雄山へ脚がかかります。そこから一気に一の越と呼ばれる標高2,700m地帯まで登ります。
さて、一般的に高山病は2,500m〜2,700m地帯で発症すると言われており、症状は人によって様々ですがおおむね頭痛や吐き気や倦怠感に襲われるそうです。高山の酸素不足が原因なので、下山すれば程なくして治りますが、酷い場合は死に至ることもあるため侮れません。
案の定、母がやや心配な感じになってきました。元々体育会系で運動が得意な人ですが、乗り物酔いしやすく環境の変化になかなか順応できないタイプです。昔家族で富士登山した際には、彼女一人が八合目でダウンしています。今回も「動悸がする」というので、無理させないようゆっくりゆっくりと進みます。本人のペースに任せてちょっと登っては休みを繰り返ていると、ネコの散歩に付き合っているようです。私はその後ろに付き添いながら、せっかくなので珍しい写真を撮りまくります。ちなみに、父はなかなか追いついてこないこちらを心配して戻ってくるものの、すぐに自分の興味のままに先に進んではまた戻るという事を繰り返して、結構うろうろと歩いていたのではないでしょうか。あの人はイヌタイプです。
ようやく一の越に辿り着くと、その向こうには後立とよばれる立山連峰の後に連なる北アルプスの峰々が広がります。

キューピーの頭のような頂が特徴的な槍ヶ岳や、富士山のように左右対称の笠岳など、個性的な山容が見渡せて感動します。いつかあの山にも登ってやります。岩の隙間に咲く花なんかに見とれたりトイレに行ったりして(一応水洗/有料)少し休憩し、後半戦に挑みます。


ここからは、岩の隙間を縫うようにして約300mを登ります。

上り下りの人が入り乱れるため、コース取りが難しかったりしますが、小学生でも平気で登っていきます。むしろ、子供の方が身軽なので有利かもしれません。しかし、岩に気を取られて忘れがちですが、高所のためすぐ息が切れ、大きな岩を一つクリアしては休む、ということを繰り返して登らなければならず意外と時間がかかります。頂上の雄山神社は見えているのですが、なかなか辿り着けません。

下を見ると、出発地点だった室堂は遙か下の方に小さく見えるのみ。さすがに達成感がありますが、全身を使って岩をよじ登るなかなかハードな登山です。
母がいよいよ高山病で動けなくなり、父に「一人で登ってきなよ。」と言われました。母に付き添ってゆっくり登り、帰りのバスの時間があるので彼女の体調次第では登頂せず下山をはじめるというのです。せっかくなのでお言葉に甘え、先に行くことにしました。
時々後ろを振り返ると、赤い帽子をかぶった夫婦二人がこちらに気づいて手を振ります。そんなことを繰り返し、徐々に距離が広がって二人が見えなくなる頃、一の越から小一時間ほどで登頂しました。

山頂には、雄山をご神体とした雄山神社社務所と山小屋を兼ねた建物、その先に雄山神社の社があります。崖っぷちの上にある社殿では、参拝料500円を払って神職のお祓いを受けることができます。

狭い社殿前にかじりつくような、なかなかスリリングな参拝です。
頂上はさすがに寒く、上からジャケットを着込んで両親を待ちますが、なかなか登ってきません。風を避けて社務所兼山小屋で山バッジを見たりお汁粉を注文して外を眺めながらすすって暖まったりしながら、二十分ほどでようやく二人の姿が見えてきました。母も高山病の吐き気と頭痛と闘いながら、頑張って登ってきたようです。
K 「おつかれさまー!」
母「…降りよう。」
K 「え?」
母「もう降りよう。」
父「あははは。まぁとりあえず写真撮ろうよ。」
しかし母は一刻も早く下山したかった模様で、に促されるまま虚ろな顔で写真に収まり、さっさと撤収です。


下りは母が脅威の脚力を見せ、父と私にも追いつけないスピードでサクサク下山します。よほど高地が辛かったようです。登りの三分の一ほどの時間で一の越に到着し、そこから先も脇目もふらずに降りていきます。やはり、本来体力はある人なのです。
コースタイムの半分の時間で室堂に到着し、母はそこで力尽きてベンチに転がりました。父はその横で介抱しつつ、私にあたりを散策してきてはと勧めてくれました。室堂周辺には立山三山をバックにしたいくつもの池や高山植物の野原が広がり、散策道が整備されています。15分ほどのコースをぐるりと廻り、やはり雷鳥は声は聞けども目撃できず、ターミナルに戻りました。


来たときと同じようにバスに乗り込み、およそ二時間をほとんど眠って過ごし、富山駅に着く頃には母もすっかり元気になっており、「食べたの全部吐いちゃったし。」と手をつけていなかったおやつをむさぼっていました。のど元過ぎればと言いますか、とにかく食欲が戻って良かったです。


しかし、家族で登山なんて小学生の時以来だったので、楽しかったです。母もせっかく登山靴やザックを買ったので、山を趣味にしているお友達に連れて行って貰おうなど意欲的です。秋くらいにまた蓼科あたりにみんなで集まって、私と母は登山、父はゴルフを楽しむのも良いかもしれません。
なにより、登山を始めてみると北陸の実家はなかなか魅力的なロケーションだと言うことを再発見しました。白山も近いし、北アルプス中央アルプスにも抜けられます。信州の風光明媚な山々も近く、いままでネコヤマだけがかすがいだったような帰省へのモチベーションが一気に上がりました。


父には引退後、信州に大手不動産会社のリゾート会員権を購入しようかというプランがあるようですが、ぜひともその辺を踏まえてご検討いただきたく!と強く進言し、大阪に戻りました。
なかなか良い夏休みでした。

星に連なる

春からこちら、友人をそそのかして低山トレッキングで体力作りをしたり道具を買いそろえたりと、周到に準備を進めてきた富士登山、ようやく無事に行って参りました!


山としては、五合目以上は森林限界を超えるので荒涼とした砂礫しかなく、夜間登山となるため景色も見えず、もちろん酸素も薄く、おまけに大渋滞という相当過酷なものでしたが、やはり日本一!というとそれだけでテンションがあがるものです。
行程は一泊二日、朝大阪を発って夕方に富士山吉田口五合目に到着、18:00より登山開始して頂上を目指し、4:48の日出を見てから下山、10:00吉田口五合目を出発し、22:00大阪着、という無駄のないご来光登山に特化したストイックなスケジュール。
天気にも恵まれ、大阪から丸半日かけてはるばる行った甲斐がありました。


7月31日、重いザックを担いで朝5時の電車に乗り込み、難波までうつらうつらと。こんな早朝でも意外と乗客はいて、やはり私と同じように登山に出かけると思しき人たちも多かったです。山に登る人の朝は早いのです。明るいうちに降りてこないといけないからね。ヘッドライトをつけて夜間に登る山なんて、富士山くらい人が多くて道が決まった山でないと無理です。山岳救助隊だって、夕方には捜索を打ち切ります。山のプロでも、夜の山は危険なのです。
難波で友人T(←いつも私の思いつきの餌食になる女)と合流し、コンビニで飲み物や朝食を調達してからバスの集合場所へ。
昨今の山ガールブームを受けて女子が多いのではと期待していましたが、あいにくオッサンばかり。大学時代のワンゲル部OBがそのまま歳を取りました的な、年季の入った山男たちです。女子多めの『軽やか☆華やか』な車内できゃっきゃとはしゃぐ若い子たからち発散されるマイナスイオンを浴びて半日過ごせると思っていたのに、出発前からがっかりです。
しかし、オッサンたちも童心に返るのかそれなりのはしゃぎぶりで、しょっぱそうな何かを発しながらも楽しそうでした。ただ、大阪のオヤジははしゃぐとうるせえ。おまけに、成人病ネタが多すぎる!循環器系の疾患を抱えて富士登山するつもりのオッサンとは、帰りのバスも無事にご一緒できるのでしょうか。
バスはいくつかのポイントで客をピックアップし、京都で最終の参加者を拾います。京都はさすが学生の街なだけあって、学生:オッサン=8:2くらいの乗客構成。もちろん女子グループも何組かいて、老若男女咲き乱れる感じのバスは一路山梨へ向かいます。


さて、その中で気になるグループが何組か。


グループA:三十代会社員女子三人組(たぶん婚活中)
グループB:二十代会社員男子三人組(たぶん年齢=彼女いない歴
グループC:学生三人組(男1女2)

バスは二列シートなため、三人組は一人あぶれます。グループAの姉御的存在一子さんとグループBの下っ端的存在三夫くんの一人ずつが隣り合わせとなり(それぞれが一人あぶれ席に座った経緯が想像できます)、のっけから一子さんが積極的に三夫くんに話しかけ、双方の所属グループを交えてお菓子を回しあったりなんとなく和やかな雰囲気に。「一人あぶれてつまらない思いをしてるワケじゃないのよ」という一子さんの大人の配慮です。ちなみに、グループAの二子さん三子さんは「一子さんが話しかけなかったらこんな男どもに興味はねー」という空気丸出しでした。
一方、グループCのア美ちゃんとイ美ちゃんは二人並んで楽しくおしゃべり、ウ介くんはそんな二人を見守りつつ知らないオッサンと隣り合わせで早々に寝てしまいました。
私はといえば、友人Tと二人でそんな微妙な人間模様に妄想がノンストップ!酔い止めに干し梅をしゃぶりながら「一番いやな展開」について熱弁をふるいます。が、「寝不足は高山病の元です。朝も早かったことだし、寝ましょう。」というガイドさんの指示により、カーテンを引いて車内も消灯し強制終了。持参のネックピローに夢と希望を吹き込んで、目を閉じました。


途中二時間毎くらいに高速道路のサービスエリアで昼食やトイレ休憩があり、そのたびにソフトクリームやら飛騨牛コロッケやら五平餅やらを買い込んでは車内で食べてまた眠ってという半日で、登山開始前からやや太った気が…。しかし、これから始まる過酷な登山でシビアにカロリーを消費していくから良いのだ!と炭水化物を遠慮なく摂取。お腹いっぱいになって眠れたし、高山では食欲がなくなって結局ほとんど何も食べられなかったし、これは結果的に正解だったように思います。

さて、夕方富士スバルラインに到着。樹海の中を抜けていく有料道路ですが、一気に標高が上がるうえカーブも多くて、乗り物酔いします。おまけに、ハイシーズンの土日とあって大渋滞。マイカーは途中で駐車してシャトルバスでパーク&ライド方式を採るらしいのですが、その駐車場に入るマイカーで渋滞します。駐車場付近を過ぎれば、バスは優先的に走行できるのであっという間ですが。
バスを降りる前に、ガイドさんからいくつかの注意事項が言い渡されます。

  1. 登山は「強力(ごうりき)さん」という富士登山専門のガイドが案内してくれるので、必ず指示に従ってください。また、決して先頭を歩く強力さんより先に行かないように。
  2. 登山道には山小屋が点在しているので、途中トイレ休憩を何度かします。その際に、使用料が必要となります。おおむね200円。小銭を多めに用意しておいてください。
  3. 富士山は登りは、落石防止のため山側通行。登山道の縁を歩くと石を落とす危険があるから、必ず山側を注意して歩いてください。
  4. 高山病予防のためにも、水分補給をこまめにしてください。また、少しでも具合の悪い人はすぐに申し出てください。


17:00頃、吉田口五合目に到着。バスから降りて、着替えと早めの夕食を所定の山小屋ですませ、広場に集合です。改めて山ガールや山男になったみんなが、やや緊張した面持ちで出発を待ちます。点呼を終えたガイドさんから「強力さん」が紹介されました。

「ごうりき」っていうから赤鬼みたいなゴッツイおやじかと思ったら、若い美女。アスリートみたいな雰囲気で、てきぱきした女性です。
「今日はこの夏一番の人出で、登山道は大混雑です。もしかしたらご来光に間に合わないどころか、頂上までたどり着けないかもしれません。そのくらい、シビアな条件になっています。従って、八合目の山小屋で仮眠を取る予定でしたが、それはなしにしてぶっ続けで登ります。頑張って山頂を目指しますが、それでも間に合うかどうかわかりません。天気には恵まれていますが、少しでも体調に不安がある人は、申し出てください。強行軍になるので、残念ですが具合が悪い方はその場で諦めて貰います。」
さくさくと厳しい話が出てきますが、バスが遅れると終電に間に合わず帰れなくなる人も出てくるので、時間が限られた中での登山になります。また、具合が悪いまま標高3000mという空気の薄い過酷な環境に晒されると、冗談でなく命に関わるのです。実際、私たちが五合目に到着するのと入れ違いで救急車が下山していきましたし、その日の早朝に八合目付近で亡くなった方もいたそうです。馴染みのある富士山は、その実そのくらい厳しい山なのです。
やや不安になりながら、出発となりました。

強力さんは、空気の薄い環境に私たちを慣らすため一歩ずつゆっくりゆっくり歩きます。ややガスが出てきており、景色はあまり見えません。高山らしい植生の中を足下の溶岩砂をじゃりじゃり踏んで進みます。まだ元気なうちに自分たちの姿を写真に納めようと、友人Tと末期(まつご)の写真撮影をしたり、こんなに近くにいるのにいっこうに姿を見せない富士山の山頂付近を見上げたりしながら、歩を進めます。ここからおよそ7時間半かけて、頂上を目指します。


ガスの中、低い植物が点在します。眼下を眺めれば、ガスの向こうにうっすら吉田の町が見えます。

ゆっくり進む隊列の中、みんなの持ち物をチェックしたり(ザックはオスプレー率高し)、グループAとグルーBの間に挟まってしまったため双方のやりとりに耳がダンボになったりして歩きます。グループBの二夫くんはどうやら韓国人のようで、韓国にはあまり高い山がないが登山は昔からメジャーな行楽で、年配の人たちは北朝鮮領になってしまった金剛山(クムガンサン)を今でも愛している、というようなことを話していて、日本一の山に来て朝鮮半島の生の情報に触れました。
外国人観光客も、洋の東西を問わず多く見かけました。特に、中国人や韓国人の観光客は団体バスでやってきて、途中までトレッキングして帰って行くようでした。欧米人は個人のグループで来ていました。アメリカ訛りのグループがびっくりするほど軽装だったりしたのでやはり途中で帰るのだと思いますが、そうとも言い切れないところがアングロサクソン系の恐ろしさ…高地に来て、ハイランダーの血が蘇ったりしてもおかしくないのではないかと思います。
さて、富士山は砂と岩の山です。森林限界ぎりぎりにようやく生えている木々も、土壌に踏みとどまれずに崩れている感じです。


木1「大地のこむら返りやー!」
木2「こっちもギリギリー!」
K「まぁほどほどにな…」

無理して垂直に伸びず、いっそ横になってしまえば楽だろうにと思います。


さて、強力さんの指示により二列の隊列を組んで歩いていきます。ここでもバスの車内同様グループAの一子さんとグループBの三夫くんは仲良く並んで歩き、年下の男の子にも上手に甘える一子さんのトレッキングポールを伸ばすため三夫くんが手を貸したりと、なんだか職場のグループワークを見ているようです。空は徐々に暮れなずみ、特に吉田口の登山道は東側斜面のため日没が早く(そのかわりどこからでも日の出が見える)、三十分ほどで六合目に着いたときにはヘッドライトを用意するよう指示されました。
六合目の救護所でトイレ休憩です。この後上に登るにつれ山小屋が増えますが、トイレは掃除も行き届いて屎尿は焼却処理しているためどこもきれいで、その代わり焼却炉の排気口では強烈な匂いがします。しかし、高所のためこういう公衆トイレで虫がいないのはありがたいです。
登山客がぽつぽつヘッドライトをともしはじめ、夏の富士山名物の光の筋が出来はじめます。日が落ちると同時に気温もぐっと下がりますが、登っている熱気で寒さは感じません。むしろ、人が固まって動くためむんむんと暑いくらいです。しかし、空気の薄さを呼吸や鼓動の戻りの遅さで実感するようになります。さらに、小一時間で七合目の山小屋で休憩したときには、空気の薄さを目でも実感。

私が持ってきたナッツの袋もぱんぱんで、空けたら中身が飛び散るのではないかと冷や冷やしましたが、別にそんなことはありませんでした。また、脳に酸素が供給される量が激減するためか生あくびばかり出ますが、これも大事な高山病予防と意識的に深呼吸やあくびをするように心がけます。しかし、酸素の薄い場所であくびをしても、あのスッキリ感は得られないと言うことを知りました。なんだか不完全燃焼なあくびばかりを繰り返してしまいます。
七合目は山小屋の連なる長い道で、明かりもあるので賑やかです。団体客も多く、これからご来光登山に向けて仮眠を取るグループなどでごった返します。そして、そろそろ高山病の症状が出てくる人たちも…。道端に死屍累々と人が転がっており、休憩なのかダウンなのか判別が着きません。私はといえば、道すがら呼吸法をあれこれ試行錯誤していくうちに、体力の消耗を極力抑える呼吸法を身につけました。密教の瞑想法「数息観」をヒントにした、鼻から息を吸い薄く開けた口からゆっくりと吐くという方法です。疲れると口で息をしていまいがちですが、そうすると大きく息を吸ってしまうため心拍数が上がり、冷たい外気を大量に取り込むため体温も奪われます。この数息観の呼吸法なら心拍数の上昇を抑え、従って体力の消耗を抑えて行動できます。ヨガやその他多くの瞑想法でもこのような呼吸法を取り入れているそうなので、おそらく理にかなったものなのでしょう。特別な宗教体験には、冬眠時に近いくらい心拍数を落とした状態が不可欠なようなので。仏教学で大学院を修了して以来一度も役に立ったことのない知識でしたが、何でも勉強しておくものですな!


同行する人々の中にも高山病に見舞われはじめる人が出てきました。グループCのア美ちゃんです。
高山病の症状は、主に激しい頭痛・目眩・吐き気等です。ア美ちゃんはひどい頭痛と吐き気に襲われたようで、ガイドさんに渡されたビニール袋を口に当てて吐こうにも吐けない様子で苦しそうでした。そのままガイドさんの判断で途中の山小屋に泊まることにしたようで、以後グループCはイ美ちゃんとウ介くんの二人に。しかし、淡々とした様子の二人はア美ちゃんを気遣いながらも、ウ介くんはア美ちゃんの彼氏でもないようで心配だから付き合ってリタイアする!とかいうわけでもなく、サクサクと進みます。一体、この三人の関係はどういうものなのでしょう。
砂利道が続いたと思ったら岩場をよじ登る道が長く続いたりと結構ハードな思いをしながら、八合目に到着です。本来仮眠するはずだった山小屋でちょっと長めの休憩を取ります。ここで、強力さんに宣告されます。
「仮眠は取りません。ここからは、数回の休憩を挟んで一気に登ります。九合目からは特に岩場の多いハードな道で、また山小屋もありません。ご来光にはどうやらギリギリ間に合いそうですが、頂上は5℃前後です。今少しでも体調に不安がある人、眠い人、頭が痛い人は、ここでリタイアしてこの山小屋に泊まってください。」
ここで、山男組のおじさんら数名がリタイアを決めたようです。私はといえば、少々疲労しているとはいえ呼吸方法の改善により消耗も抑えられ、また今回初めて導入したサポートタイツが素晴らしい威力を発揮し長い登り道であるにも関わらず足が軽い状態が持続しているので、比較的元気です。なにより、徐々に混雑してきた登山道の所謂「ご来光渋滞」のお祭りのような騒ぎや、ガスの晴れた下界の夜景が楽しくなり始め、テンションが上がってきたところです。しかし、タフなはずの友人Tがここで微妙な顔をし始めました。
T「あたし、ここでストップした方がええかな…」
なぬー!
しかし、彼女は実は先月の高野山町石道で膝を痛めており、その後整体に通うなどしてコンディションを調整しての参加だったのです。サポートタイツやテーピングなど対策はしているものの、この長時間登山ではどうなるかわからない爆弾を抱えているような状態でした。
K「ひ、膝がそんなに痛いの?」
T「いや、膝は平気。」
なんやねん!
K「頭が痛いとか?」
T「いや、まだ大丈夫。」
K「…じゃぁなに。」
T「呼吸の戻りが遅くて、苦しいのがなかなか治らなくて…」
K「なんと!それならば良い方法がありますよ!」
待ってましたとばかりに自分で体得した呼吸方法を教え、試してみるように進めました。その効果を説明し、「じゃぁやってみる…」とTも試してみる気になって無事登山再開です。本来なら自分の体調に不安を持った人間を無理に薦めるべきではなかったのでしょうが、高山病特有の症状が出ているわけではないこと、自分も同様の状態を呼吸の仕方を変えて回避できたこともあり、またあと一時間ちょっとで頂上に着けることから、励まして一緒に登ることにしました(あと、彼女普段が健康だから、ちょっとした不調に不安になりやすいと言うこともあったので)。


ここからは、本格的なご来光渋滞です。強力さんが言ったとおり岩場が多く、足場に手間取る人たちで前に進まないような渋滞になります。しかし、山小屋がなくなる代わりに警備員さん(?)が赤灯棒を振って交通整理をしていたり、他のツアーの若者たちのかけ声や強力さんたちの励ます声によって、みんなようやくといった感じで歩みを進めています。どこかの団体の若い強力さんが「空を見てください」という声に上を見ると、明るい月の光と、うっすら白い天の川。時々、流星が飛んでいきます。眼下には、同様に登ってくる人たちのヘッドライトの列が川のように続いています。そして、横を見ると月光に照らされた富士山の稜線。その見覚えのある滑らかで急な傾斜のシルエットに、自分はようやく「あの富士山」に登っているのだと実感しはじめました。

警備員さんと強力さんが口々に「今日は暖かいですねぇ」と言葉を交わすのを「いま8℃なんだけど…」と思いながら横目で眺め、頂上に見える光とダイナモの音を目指して登り続けます。不思議と疲れは感じません。これがクライマーズ・ハイというやつでしょうか。
やがて、鳥居が見え始めました。


こんな高いところに立派な石の狛犬もいます。これをくぐると、山頂です。万歳と両手を挙げ、次々と鳥居の下をくぐっていきます。


午前3:00頃。ようやく、吉田口の山頂にたどり着きました。

ここで、4:48の日出を待ちます。
山頂はさすがに寒く、しかも座る場所もないくらいの人出です。登ってくるまでは汗をかくので、長袖と半袖のTシャツ重ね着の上にフリースジャケットを着ただけでしたが、泊まると急激に身体が冷えます。ガタガタと震えながら、レインジャケットを取り出して羽織りますが、震えは収まりません。やはり、ダウンベストを用意すべきだったかと少々後悔しましたが、しかし登り切るまで全く必要のないものでもありました。富士山の防寒具は要するに、悪天候でない限りこの時間のために必要だったのです。
震えながら山頂の自動販売機で温かいお茶を買い(500円)、少しずつ飲んで身体を温めているうちに、どっと身体が重くなってきました。そうはいっても3700m以上の高地です。何もせずに座っているだけで息苦しさを実感するくらいで、いるだけで疲労が蓄積されます。疲れと寝不足から、道端に腰掛けてうつらうつらとしていました。そうして15分ほど目を閉じていると、やがて空が白みはじめました。夜明けが近づいているのです。

真っ暗だった世界にうっすらと光がにじみはじめると、眼下には雲海が広がっています。その上に、太陽が出てくるのです。
ご来光を見るために、重い身体を引きずって移動しました。頂上の塀の縁には、大きな一眼レフと脚立でスタンバイしている人たちがずらりと並んでいます。こんな快晴なら素晴らしい写真が撮れるでしょう。



東側には、人が鈴なりです。みんな、息をのむようにしてその瞬間を待ちます。

やがて、大きな鳥が朱い羽を広げるようにして、空と雲の間に暁が広がります。

雲海の上に、ぷっくりと太陽が生まれたように見えました。日の出の瞬間です。
人々のどよめきが上がり、何度か挫折してようやくの登頂だというおじさんは涙を流していました。これは、そういうとくべつな夜明けなのです。
何時間も闇の中を歩いてきた身に、光に触れる安堵や暖かさが染み込むようです。あんなに寒くて震えていた身体は静まり、みんなただゆっくりと登っていく朝日を眺めていました。


あたりがすっかり明るくなり、人々はまたあわただしく動き出します。今度は、下山に向けての準備です。私とTも、山頂神社にお参りしたり山小屋で登頂記念にと山バッジを買ったりして、火口付近の集合場所に向かいました。

下山の装備は、登山のそれとは異なります。下るにつれ気温が上がるので、レインジャケットとフリースジャケットを脱いで、薄着になります。また、下りは靴の中で足が滑るので、靴紐を先端から強く結びなおします。下山の道は砂利ばかりとなるため、足下のカバー(ゲイター)を装着し、自分の足より下に突くことになるストックを長めに調整します。食欲はなかったのですが、せめてエネルギーを摂取しないとほとんど手をつけていなかった行動食の中から手軽に食べられるシリアルバーを取り出して(これもパンパンに膨らんでいてびびった)囓り、下山に備えました。
下山口から強力さんについてゆっくり下ります。砂利で滑るので、登り以上に神経を使います。また、滑らないように足を踏ん張るので、普段使わない脚の後ろ側が張ってきます。登りで疲れた疲労の取り切れないままジグザグの道を半歩ずつ慎重に踏みしめて下っていかなければいけない、おそらく登りより過酷な道です。
ふと西の斜面に目をやると、八合目や九合目の途中でご来光を見てから登頂する人たちの長い列が見えました。色とりどりのザックを背負って、ハキリアリの行列のようです。そのなかで、異様な一団が目につきました。全身ダークグリーンの…自衛隊員です。

ひー!あの列には混ざりたくないものよ…!と戦きながら、徐々に高度を下げます。しかし、代わり映えしない砂礫だらけの景色の中で、ただひたすらに滑らないよう足下に気をつけて延々と下らなければいけないあの状況は、「ああ、地獄ってこんなカンジ…?」と白昼夢の中で臨死体験しそうになりました。ハヤブサが撮影した小惑星イトカワの地表の方がなんぼか感じが良いです。高山病やら疲労やらであちこちに人が転がっていて、ガスなんか出てきた日にはほんと地獄絵図です。積まれた石の向こうに脱衣婆が手招きしている姿が見えそうです。また、後から喉の痛みで気づいたのですが、目に見えない砂埃を結構吸い込んでしまうので、マスクなど口を覆うものが必要です。私も持参してはいたのですが、自覚するほどの砂埃ではなかったので使わなかったことを後悔しています。
雲海の中に入ったりしながら三時間も下ると、ようやく植物も見えてきて、呼吸も楽になってきます。

しかし、友人Tの膝が本格的に痛み出したらしく、ゆっくりゆっくりとかばいながら歩きます。しかも、集合時間は五合目の出発地点と同じ場所に9:30。無理なスケジュールではないですが、あまりのんびりもできないカンジです。10:00の出発に間に合わなければ、容赦なく置いて行かれます。やや焦りながら、所々で表示されている標準コースタイムと自分たちのスピードを比べて到着時間を計ります。ギリギリです。
六合目まで下ってくると、平らな道が増えてきました。下りの道は滑るのでスピードが出せませんが、そうでないならこちらのものです。「登りの方がマシ」という経験を初めてしました。
自分とTをなだめすかしながらなんとか全員集合時間に間に合い、無事バスに乗り込みました。この後は、温泉によって二日の汗と埃を洗い流し、帰路に就くだけです。


バスで一時間ほどの温泉施設では、食事処で昼食も取ります。Tと共に山梨ならではのブドウポリフェノールのボディソープに驚いたりしながらさっさと身体を洗って、温泉にゆっくりつかりました。ハーブの湯や富士の伏流水の冷水に悲鳴を上げたりしながら一時間。登山ウェアから楽なワンピースに着替え、重い登山靴もサンダルに履き替え、食事処へ。
隣のテーブルではすっかりまとまってしまっているグループAとグループBが楽しそうに乾杯していました。その様子を若干羨ましそうに見ていた同じテーブルの男子大学生二人組が、こちらをやや意識するようなカンジで席を勧めてくれたのですが、「君達にはわからないかもしれないが、オッチャンたちは君らの1.5倍以上歳を重ねているんだよ…」と心の中でつぶやき、そんな自分になぜか居たたまれなくて目を伏せたまま、しかし食事だけはガッツリとあっという間に片付け、席を立って休憩コーナーに向かったのでした。社交的で感じのイイ山ガールを目指したはずが、これでは本当に山ガールになり損ねた熟女の妖怪「ヤマージョ」です。山ガールになりきるには心理的な負い目が多すぎて、精神的に惨敗でした。
なお、グループCのア美ちゃんは、下山したらすっかり元気になったのか、イ美ちゃんと楽しそうにおしゃべりしていました。相変わらずウ介くんは淡々としており、結局だれがどっちにどうなっているのかはわからずじまいでした。が、山頂で聞いた「登山病って怖いなぁ。ア美ちゃん見てて引いたわぁ。」というはんなりとしたイ美ちゃんの京都弁に引いたのは私だけなのかウ介くんもなのか。


その後、バスは途中渋滞に巻き込まれたりしつつ結局予定より一時間ほど遅れて進み、何人かは終電に間に合わずホテルに泊まったり奥さんに迎えに来て貰ったりした模様。私も、ギリギリ走って間に合ったカンジです。
しかし、疲れたー!家に帰ってシャワーを浴びたら、寝付きの悪い私でもさすがにあっという間に眠ってしまいました。


翌日は月曜日で朝から出勤ですが、富士山に登った翌日にきちんと出勤できる自分に酔いながら、同僚に登頂自慢しつつの一日でした。関西はいまいち富士山への思い入れが薄いためか、女性は反応薄かったけど、お父さんたちは「いつか子供を連れて行きたい!」と思っている人が多いようで、食いつきが良かったです。


しかし、帰りのバスでは「富士山はもうイイよ…」とか、「今度は南アルプスとか風光明媚な山でメルヘンチックな山登りしようよ」とか言っていたのですが、一週間たって慰労会と称してTと顔を合わせてみると「やっぱりあれはいらなかったよね」とか「こっちのコースだったら…」とか次回の話をしています。あんなに辛かったのに、そのつらさはすっかり忘れてもう一回とか思ってしまうのは、出産の痛みを忘れて何度も子供を産んでしまえる女性特有の忘却術なのでしょうか。

ツアーはバスに乗ったら勝手に目的地まで連れて行って貰えて、ガイドもついて安全に登山できる反面、やはり時間に無駄なく行動せざるを得ないため追い立てられる感じがありました。いつもの海外旅行と一緒で、一度目はツアーで。二度目は自力で。次回は、レンタカーを借りて信州なんかも廻りながら、自分たちのペースで登ってみたいと思います。


しかし、やはり富士山は一生に一度は登っておきたい山ですよ!


今回大いに役立ったのが、はじめて使ってみたサポートタイツ。長時間の登山だったので、終盤脚が上がらなくなるのでは、と危惧していたのですが、このタイツのおかげで疲労度合いが全然違う!さほど疲れも感じることなく、足が軽いまま快適に登りました。低山ハイキングくらいならなくてもいいかなーと思いますが、行程がハードであればあるほど威力を発揮します。

雨の降る所

恋人が週末出張でうちに車をおいていったので、そのまま借りて日本百名山の一つ、奈良県大台ヶ原に行ってきました。降雨量日本一と教科書で習った山です。GWにも行ったのですが、高山のため雪が積もっており、そのまま引き返してきました。今回はそのリベンジと、今月末の富士登山レーニングを兼ねて。自分の体力と高山耐性を試すために空気の薄さが実感できるような高めの山に登っておきたかったのですが、結果的にはよくわからなかったです。そうはいっても意外と体力というか持久力もあるし、高山耐性というか何事にも鈍いタイプなので。

唯一の具体的な実感。


さて、梅雨の晴れ間とはいえ、例え下界が晴れていようが降ってしまうのが山の雨。しかもここは降雨量日本一の山。まぁ、降ったら降ったでレインウェアを試す良い機会だと思っていたのですが、結局降られることはありませんでした。梅雨のこの時期にこれはラッキーなんだろうなー。
駐車場は結構広いのですが、6割くらい埋まっているカンジ。グループ登山やドライブなど、客層や目的に準じて服装も様々。また、ここに辿り着くまでに何人か見かけましたが、自転車で登ってくる人たちも!女子もいました。スゲー。移動手段としてあまり自転車を好まない私ですが、それは登りがちょっとした坂でも半端なくツライからです。だったら歩いた方がマシ!でも、自転車でここまで来たら下りは気持ちいいだろうなー。
一気に1600mくらいの高地まで車で登ってきたので、身体を慣らすために、食堂でちょっと早いお昼ご飯にうどんを食べたりトイレに行ったり(山なので有料)ビジターセンターで地図を買ったり(職員の女の子とおばちゃんがガールズトークを繰り広げてて声かけるのに気が引けた…「(男を)奪われるで」とかそういう生々しい感じで続きが気になって仕方ない。)、かつサンダルにTシャツで来ていたので登山用の装備を準備をしたりと小一時間ほど過ごし、12時前くらいに出発することにしました。


コースタイムはおよそ3時間半。途中晴れたら富士山が見えるという日出ヶ岳大台ヶ原のシンボルともいえる断崖絶壁の巨岩 大蛇粠(だいじゃくら)、シオカラ谷の吊り橋など、整備されたコースは変化に富んでいて一人トレッキングでもかなり楽しめます。また、運が良ければシカなどの野生動物に出会えることも!
期待に胸をふくらませつつ、登山口からコースに入っていくと、木立の中に延びる登山道をしばらく歩きます。

途中、何度か山水が沢となって道を横切りますが、気にせず(ついでに前回の高野山登山の際に着いたままの泥を落としつつ)パシャパシャと踏んでいきます。これがなかなか気持ちいいです。こんな感じの良い散策が続くなら楽勝です。


あちこちからいろんな小鳥の鳴き声がするのですが、野鳥の種類も多彩なようです。初夏の恋のシーズン真っ最中なのでしょう。お盛んなことです。

しかし、目視できたのはカケスだけでした。そんなのうちの近所にもいる!どうやら私は鳥に対する親和性が低いようです。実際、田舎に住んでいる家禽くらいしか見分けがついていない感じで、野鳥リテラシーは極めて低いと言って良いでしょう。ここはひとつ、そっち方面を開発して、せっかくの山登りをより楽しめるようになりたいものです。
さて、ここ大台ヶ原は野生シカの多いことでも有名で、その食害対策があちこちで見られます。


この木は網タイツを履かされているワケではなく、シカに樹皮を食べられないようにネットカバーを被されているのです。
こうして、結構な費用を投じてシカ対策が施されているそもそもの原因は、なんと1959年の伊勢湾台風まで遡るそうで、台風で木々がなぎ倒された大台ヶ原は今まで木が遮っていた日光が表土に当たるようになり、土が乾燥して荒れ笹が茂るようになり、そこへ笹を好物とする鹿が集まったそうです。冬場など笹が雪に埋もれた季節は木の皮を食べるようになり、山が荒れてしまうらしいのです。どうせならシカを狩って「大台鍋(シカ肉入り)」とかのご当地鍋として売り出してその収益で森を保全してはどうか、シカも減るし一石二鳥ではないか、とか不謹慎なことを考えてしまいましたごめんなさい。ここは保護区なので、動植物の採取や生態に影響を与えるような行為は禁じられています。
さて、途中コンクリートの階段などありつつ、30分ほどで日出ヶ岳に辿り着きます。ここが一番高い場所で、東の方には富士山が見える事もあるそうです。三角点がここにあり、360度の大パノラマが見られる展望櫓があったりと少し開けたところなので、ちょうどお弁当を広げて休憩している人たちがたくさんいました。

年配のグループもいましたが、関西のオバちゃんたちは標高が低かろうが高かろうが空気が薄かろうが濃かろうがその生態は変わることがないという事実を確認し、日出ヶ岳を後にして次のポイント正木峠に向かいました。


緑のトンネルの下を木の階段がずっと続いて、ちょっとニングルとかが出てきそうな雰囲気です。しかし、この覆い被さる枝が見た目のメルヘンさを裏切ってザックや帽子に引っかかって歩きにくいことこの上ない。木ならば太陽に向けて生えろ!背筋を伸ばせ!と叱咤したくなりながら、峠に出ます。すると、景色は一転。



樹木の墓場です。伊勢湾台風の通り道だったこのあたりは、倒木がそのまま乾燥してまるで白骨を晒すような姿になったそうです。

ガスまで出てきて、陰鬱な風景を更に盛り下げます。
そんな中、シカ発見!

生い茂る笹をもぐもぐ食べていました。奈良公園で見るよりずっとスリムで敏捷です(そりゃそうだ)。おかげで機嫌が直りました。
峠を下ったら、また木々が茂る道になります。途中、やけに石が積んである場所があったりして、あんまり高く積むと父さんにバベられるぞ…とか心配になります。

それにしても、このコースは道が整備されているので多少ラフな場所もありますが、迷う心配だけはなく歩けます。後にはゴミ拾いボランティアのグループが職員に引率されていました。ゴミを拾いながら、大台ヶ原の自然や動植物、歴史をガイドして貰い、この山に親しもう!という趣旨のようです。

こういう人たちの努力のおかげでこの環境が守られているのです。


さて、突然森が拓けたと思ったら誰か立っています。神武天皇です。

「やぁ僕が神武だよ!よく来たね。」
和風サンタクロースかと思いましたが、なんでもこのあたりにいた魔物を「牛石」に封じ込めたという話があるそうで、こんな高いところでご苦労様な事です。
やがて、コースとは少し外れて今回のクライマックス、大蛇粠に向かいます。
イキナリ道が細く岩ばかりになり、人がすれ違うのに注意が必要になってきます。大蛇粠から戻ってきたグループの男性が『あら、一人で大丈夫かいな』と心配してくれたのを『まだ若いから大丈夫やって!』と流されて心配になりました。たぶんオッチャンたちが思ってるほどオレ若くない…。若干警戒しつつ、前を歩く山ガールがおそるおそる歩いているのを良いことに慎重に進み、岩を登るとそこには大絶景!


遠くの崖にすごい落差の滝が見えます。惑星パンドラみたいです。身長3mほどの青い人とかが翼竜に乗って飛んでいそうな世界です。

まったく、パノラマでお見せできないのが残念なのですが、かといって実際私も断崖に突き出た巨石の上に立っているというシチュエーションの恐怖にやや視野が狭くなっていたようなので、私がこの目で見たものとそう変わりません。怖いからあまり具には見られませんでした。後ろから来た若いカップルの女の子が平気で岩の先端に立ったりして、こっちが見てられない!落ちたら見つからないよー!
しかし、前に歩いていた山ガールの彼氏が一人の私に「よかったら写真撮りましょうか?」と声をかけてくれたので、せっかくなので記念撮影して貰いました。しかも、なかなかの腕前。山慣れしてる風情だし、このロケーションでたいした余裕だ。
ありがとう青年。彼女の山スカート可愛いね。私もあと7歳若かったら(イヤに具体的だな)そういう格好をしたかったよ。
しかし、撮って貰った写真を後で確認したら、恐怖にやや引きつった笑顔の自分が痛々しかったです。


さて、大蛇粠からもとのコースに戻ると、道程も後半になります。シャクナゲが群生した中を下るので、シーズンに来たら結構な見応えがあっただろうな。しかし、コース前半と比べると急に石だらけの大きな段差を降りたり、沢に向かって濡れた岩をよじよじ降りたりしなければならなかったりで、手のひらを返したようなラフさです。後半の疲れた足にはこの段差や木の根を避けつつの道は結構堪えるので注意が必要です。しかし、そうはいっても身軽さが信条(だったっけ?)の私は、ひょこひょこと降りてしまうので、下りの加速もあって結構なスピードで降りて行けたようです。沢には、コースタイムの標準より30分早い時間でした。
沢には吊り橋が架かっています。ぶわんぶわんといった感じで上下に大きく揺れるので、人がいないのを良いことに一人で跳ねて遊んでしまいましたが、危険なのでよい子はまねをしてはいけません。


そこからは、また一気に200mほどを登ります。30分で。従って、階段が多いです。

こういうのが一番疲れます。しかし、富士山はほとんどこういう階段なんだよなー。これも訓練と思って頑張るのですが、登りは一番エネルギーを使います。一気に汗が噴き出すし、息が上がります。こまめに水分補給しつつ、塩梅の飴なんかを舐めながら階段を上りきると、今までの道が嘘のような素っ気なさ。

このまま森を抜けて、ゴールとなりました。休憩を含めて3時間ほどなので、標準と比べると結構なハイペースだったようです。


踏破して思ったのは、好みもあるでしょうが、このコース、逆回りの方がよくね?ということです。最初にあの沢の前後のような辛い思いをしておけば、あとはゆっくり快適なトレッキングを楽しめるし、疲労で足場を崩すような危険もないように思います。が、登山はある程度の困難が達成感となり次への克服欲へと繋がるようなので、やはりこの順路で良いのかもしれない。M的な意味で。


こんな高山で気温は低かったものの、岩の上り下りなどで全身を使ったせいか暑くて仕方なかったので、車でザックを下ろし靴を履き替えてから売店でアイスクリームを買って、ベンチで食べました。気持ちよかったー。
帰りには麓の温泉によって、汗を流してウェアも替えて、さっぱりして帰りました。登山&温泉の組み合わせはレジャーとしては最強です。おかげでよく眠れました。


しかし、先週の高野山の過酷さに比べると、三時間ほどのトレッキングだと物足りない感じになりつつあります。しかも、大台ヶ原登っちゃったらこれ以上高い山が西日本にはあまりなく。秋くらいには南アルプス縦走とかしちゃってるかもしれません。また、これ以上標高が上がると、私のペースの早さは逆に高山病の元になりそうなので気をつけないと、という教訓。貧乏性だから早足なんだよねー。もっとゆっくりゆったりすることを覚えたいものです。

聖地巡礼道

富士登山前トレーニングの一環で、高野山に登ってきました。
富士山用のトレーニングなので、装備も荷物も全く同じものを持って、装備の具合と重量に対する自分の耐性を知るためです。
山小屋泊の行程に耐えうる容量の、新しいザックも買いました。

OSPREY(オスプレー) バリアント37 パイロ(PY) M

OSPREY(オスプレー) バリアント37 パイロ(PY) M

三倍速く歩けそうな色です。*1


さて、高野山とは、弘法大師空海の拓いた真言宗総本山金剛峯寺のある、あの高野山です。2004年に、熊野・吉野と併せて『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産にも登録されています。
「名前は有名だけど、どこにあるかがよくわからない。」という方も多いかと思いますが、所在は和歌山県伊都郡紀伊半島のど真ん中に位置する標高約800mの深山幽谷の地であり、平安の昔からおよそ1200年続く、修行の地でもあります。現在も、東西およそ2kmの町には数十の宿坊寺院が軒を連ね、大勢の僧侶がそこで生活し町を動かしている、仏教都市といえます。樹齢を重ねた杉や檜や槇の巨木に守られた静かな町には、夕刻になると勤行の声が低く響き、古き日本の空気をもっとも濃密に残している土地の一つであるかと思います。
そんな高野山はどこから行っても遠い場所ではあるのですが、大阪難波から南海高野線で二時間というルートが一般的です。自家用車で訪れることもできますが、途中の山道はカーブが多く乗り物酔いしやすいので、弱い人は相応の覚悟が必要かと。


さて、昔は電車も車もなかったのですから、当然歩いて登るわけです。実際、「高野七口」という各方面からアクセスする参詣ルートがあります。その中でも、一町(約109m)ごとに「町石(ちょういし)」という石塔婆が立った「町石道」が有名です。

この道は熊野参詣道などと共に上記『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部を構成する参詣道となっており、その昔弘法大師空海が麓の里に住まう母を訪ねて月に九度通ったというルートです。

登り口はそのエピソードから「九度山」と名付けられた里の、母堂が住んだとされる慈尊院というお寺から始まります。このお寺は弘法大師の母堂にあやかって、母性の寺というか、安産祈願等で女性が多くお参りします。

お母さんは娘の安産を、さらにその娘はそのまた娘の安産を祈願して、代々女性に親しまれてきたそうです。

こうやって乳房を模って納め、安産と産後母乳がよく出るようにとお願いしたそうです。歴史はあるものの実際はこぢんまりとした小さなお寺です。しかし、近所の人が日課のようにしてひっきりなしにお参りしていました。この日も、おばあちゃんが小銭をこつこつ貯めたのであろうお賽銭を持って、ざらざらと納めて、そして熱心にお祈りしていました。

傍らには、子供の守り仏である地蔵菩薩。丁寧に帽子と前掛けを着せられていました。
このところパワースポットブームになって人が多く訪れるような寺社に行くことが多かったので(それはそれでいいのですが)、こういう世の中の流れとは関係なく、でも途切れることのない信仰を集めて敬われているところにくると、ほっとします。
さて、慈尊院の裏手からイキナリ急な石段を登ると、丹生官省符神社があります。ここは弘法大師高野山を拓くに当たって土地を示してくれたという丹生明神と狩場明神が祀られています。この丹生明神すなわち丹生氏は弘法大師を長く助けた一族であるといい、高野山周辺のあちこちに祀られています。

急な石段にイキナリ心が挫けます。

石段を登り切った所、鳥居には茅ノ輪がありました。ちょうど6月の大祓(夏越しの祓え)の後だったのでしょう。せっかくなので、くぐってみました。これで俗界のあれやこれやの穢れが多少は祓えたでしょうか。

古い拝殿では、神職によるお祓いの最中でした。私たちも社殿の前で道中の安全を祈り、いよいよスタートです。
ちなみに、町石は180基あり、この神社の鳥居の傍らに「百八十町」があります。終点の高野山壇上伽藍まで道のりは約22km、コースタイムは6時間半で標高差は約700mあり、ハイキングコースとしては難易度の高い健脚向けのコースとなっています。
そこを歩くのです。


ところで、巷では森ガールとか山ガールとかが可愛いウェアに身を包んで気軽にアウトドアを楽しんでいるようで、実際先月訪れた足慣らしの春日山遊歩道はそんなオシャレアウトドアガールをたくさん目にしました。が、この道はオシャレとかユルカワとかそういう俗界のものを持つ余裕すら極限まで排した過酷なコース。しかも、前日までは土砂降りで、道は所々ぬかるんだいわゆる悪路。こんな山、「ナチュラルリラックス」じゃねぇ「野生の恍惚」だ!くらいのガチ登山客(というか山男)しかおりません。そんな中に紛れて、出発前はちょっと薹の立った山ガール気取りだった我々は登ってきたわけです。しかも、途中からはそんな山男たちすらいなくなっていました。

ほぼ同時に出発したはずの山男たちの一団は、あっという間に見えなくなりました。いい年をして健脚にもほどがある!私はといえばその頃すでに青色吐息で、正直この登山が終わる頃には5歳ほど老けました。見た目が。


さて、丹生官省符神社からイキナリ結構な急勾配で、九度山の果樹栽培に適した日当たりの良い(すなわち斜面のきつい)山を登ります。なかなかペースが掴めず息が上がりますが、急に登っていくのであっという間に自分が高いところにいて、木々の間から麓の町が見下ろせます。

徐々に高みに登っていく実感を励みに、この過酷な道を行くのです。


しばらくは山道をひたすら歩きます。最初は物珍しかった町石も、暑さと疲労で目に入らなくなってきます。雨上がりの気温28度で湿度は90%という、体力をひどく消耗するコンディションです。時々木々の切れ間から吹き込む涼風が、大袈裟でなくいのちを回復させるように思えます。こういう環境では、風の涼しさのありがたさ、口に含む水のありがたさがよくわかります。同時に、自分から身を削っていくものも強烈に実感できます。途中、岩盤質の岩肌が剥き出しになったところに昨日の雨が山水となって流れ、長い滝のようになっている箇所もあり、登山靴のゴアテックス生地がどれほどの防水性を発揮するのか試してみるにはうってつけでした(ポジティブシンキング)。全く靴の中に水が染み込むことなく、かつ透湿性も保たれ靴の中がジメジメ蒸れると言うこともありません。
二時間ほど歩くと、山里に出ます。天野という土地で、丹生都比売神社があります。ここも丹生氏に所縁のある神社で、こんな山奥にあるにもかかわらず朱の太鼓橋や彩色の美しく残った壮麗な社殿が、天の一角に拓けた楽土のようです。

私が男なら、神職に就いてこういう山奥の古い神社を守って生きていきたいカンジで、私の萌えライフスタイルアンテナをひどく刺激します。
お参りをしたらちょうど昼過ぎだったので、お弁当を広げることにしました。といっても、おにぎり・ゆで卵・梅干し・お茶という飛脚みたいな簡単メニューですが。
境内の藤棚下にベンチとテーブルがあり、ザックを下ろしました。背中に流れた汗がTシャツの裾から滴るという経験を初めてしました。こんなに汗をかいていたなんて!登山用に裾がツバメの尻尾みたいに下がった「汗切りTシャツ」とかあればいいのに。イヤしかし、ダイエット効果が期待できそうです。てゆーか、コレで痩せてなかったら泣く。


お昼を食べている横で、後からやってきた参拝客が「これは何の木だろう」と話していたので、「これは藤ですよ、あれは柘植の木、こっちは楓」と尋ねられるまま答えていたのだが、年配の方でも都会から来た人は意外と植物の名前を知らないものだな、と思ったり。いやむしろ柘植とかは意識して見たことないのかも。公園の植え込みとかにはあると思うんだけどね。そういうものかとカルチャーショック。うちは茶道の家なので、花や木の種類を知らないとわりかし手伝いとして使い物にならないので。
さて、小一時間の休憩を挟んで再出発。また山道に戻ります。しばらくはゴルフ場の敷地を横切る形になるので、人の声やゴルフのカートの音なんかが聞こえるのですが、ようやく山道に戻ったと思ったらまたゴルフコースだったりして、お釈迦様の手の上の孫悟空のような気分になります。どんだけ広いんだゴルフ場。また、このあたりではトレイルランニングをしている人たちにも何人か出会いました。おそらくゴルフ場に車を止めて、この登山道を含めた周辺の里山を走っているのだと思います。結構なスピードで山道を走っているのでその超人的な体力には驚きますが、せっかくなので装束を変えて天狗とか山伏とかでもイケるとおもいます。
ようやくゴルフ場から逃れられたところで、また二時間弱の山道です。途中、弘法大師が押し上げたという無茶な謂われのある岩や池があったり、日常生活ではあまり目にすることのないスペイン風オムレツのような大型キノコや唐揚げにしたら美味しそうな沢ガニなどに出会います。あと、写真には間に合いませんでしたが、目の前を茶色い小動物が飛び抜けていったりしました。おそらく野ウサギです。


なお、時々町石に紛れて小さな石仏があったりして、誰かここでのたれたのだろうか・・・などと考えてどきどきしたりもしましたが、実際のたれた人はこんなもんじゃないはずなので、単に道中の安全を見守っているお地蔵さんだろうと思います。
ちなみに、この先は疲れて写真がありません。


ようやく次の休憩ポイント、矢立茶屋に着きました。このコースはおよそ二時間ごとに休憩できる(しかもきれいなトイレもある)ポイントがあるのでありがたいです。実際、むかしから参詣者が休んだ茶屋でもあるようです。名物の焼き餅をいただきました。草餅を炙ったものですが、疲れた身体に小豆のほのかな甘さが染み渡るようです。また、山水で冷やしたというお茶も美味しくて、何杯もおかわりしてしまいました。過酷な環境にあると、こういう普段なら当たり前の小さな事がとても大きく感じられます。
ここから残り二時間。標高400mくらいを短距離で一気に登ります。
茶屋を出たときには16:30頃。そろそろ日が傾きはじめているので、時間を気にしなければならなくなってきました。ここからは車道とつかず離れずのコースになるのですが、木々が茂る山道を登るには陽が陰ってくると少々危険です。幸い、高野山は西に向けて開けているので日没が遅いのですが、これが東向きの山ならあっという間に暗くなっていたところでしょう。また、夏至から日も浅いことも幸いしました。しかし、夜間登山でなくても、こういう事も想定してヘッドライトは持っておくべきだと痛感しました。天気が悪ければ、日暮れはもっと早くなり、山はもっと暗くなります。
そろそろ休憩では解消しきれない疲れが足に溜まってきていたので、ダブルストックを使うことにしました。両手に持ったストックのおかげで、足にかかる負荷が分散されます。また、足だけで歩いていると意外と身体の脇に垂らしたままの手がむくんでくるのですが、ストックを両手に握って腕を動かしているので、固まっていた背中や肩の血流が良くなってだいぶ解れます。これは、意外な効果でした。
ややペースアップして登ることちょうど二時間。コースタイム通りで高野山の入り口、大門に辿り着きました。折しも西に真っ赤な太陽が沈んでいくところで、図ったような演出に感激しました。
辿りつく頃には、当初の「山ガール」的な目論見の微塵も残っておらず、魂が歳を取ったというか最早おばさんと言うよりおっさんになっていて、「山オッサン」という蔑称を互いに贈りつつ(我々をとっとと抜き去った山男たちは「山オッサン」ではありません。彼らは魂が少年なので)、無事踏破を喜び合いました。


ここから、徒歩5分の高野山の中心地、壇上伽藍が終点です。日も暮れて人の途絶えた伽藍は宵闇に包まれ、境内にはぽつりぽつりと灯籠の明かりが灯って静まりかえり、ほのかに香の漂う場所でした。夏のこの時間の高野山が、私は一番好きです。


ここからバス停に行き、高野山駅からケーブルカーと電車を乗り継いで帰路に就きました。
休憩を入れてトータルでおよそ8時間半。前半はややペースが遅かったのですが、後半にはコツが掴めたのかはたまた標高が上がって涼しくなったからか、コースタイム通りの速度で登ることができました。同行した友人も、大学では登山部で何度かこの山を登っていたこともあり、わりと早足の私と同じペースで登れたのも良かったです。
過酷ではありましたが、これで月末の富士登山への大きな自信になりました。月末まであと何度かどこかに登ろうと思いますが、これに比べれば屁の河童です。



今回の参考図書。

エコ旅ニッポン 高野山を歩く旅

エコ旅ニッポン 高野山を歩く旅

「高野七口」や「女人道」と呼ばれる高野山参詣道のルートや環境、歴史について詳しく考察してあり、登山に興味がある方も高野山に興味がある方も一読の価値あり。七口全部制覇したくなる危険な書でもある。

*1:オスプレー:バリアント37」かっこよさに一目惚れ。クライマーとかガチ登山家が使うような仕様になっているそうで、女性の私にはオーバースペックかもしれませんが、ギア選びにはデザインも重要な要素!スペックに見合うスキルを育てていけばいいのです。実際、今回の登山ではまったく違和感なく使えました。またサイズですが、私は身長151cmのチビなのでSサイズをショップの店員さんのアドバイスに従い各所のベルトを調整して的確にフィットさせたら、重しをかけても全然重くない!軽量素材で、しかも背面パッドやショルダーベルト・ヒップベルトのパットがきちんと身体にフィットするので、重さを上手く分散させてくれるようです。

夏至のあと

KyrieEleison2010-06-24

ストライプのワイシャツを着た男子社員がピンストライプの上着を羽織った途端、同じチームのおねーさん方に「あんた今日タテ線多くない?」と小突かれてた。
さすが大阪人、言いがかりが斬新すぎる!私なんて「なんかくどいなーコイツ」くらいにしか思わなかったのに、ズバリ本質を突くね!


さて、イベントが四件も重なってしまい、来客の応対に追われた一日。
茶器を洗いに給湯コーナーに行ったら、物凄い夕焼けがビルの狭間に広がっていて思わず「わあ」と声を上げてしまった。独り占めするのも勿体ないのでオフィスに戻って“オフィスグリコ”のおやつを物色していた上司を引っ張ってきて、二人で感嘆しつつ眺めていたら、通りかかった同僚たちもなんだなんだと足を止めてしばし夕焼け鑑賞会。
誰かが「都会だなあ」と呟いた。建設中のビルやクレーンのシルエットが多彩な赤に浮かぶ景色。そーだな。たぶんここが西日本一の都会だ。


四半期がもうすぐ終わるし、明日は給料と久しぶりのボーナスが支給される。
少し余裕ができてきたのかな。
梅雨の晴れ間としては上々の出来栄えでした。